プロ野球を選ばなかった男が歩んだ激動の道

小さな大投手・山中正竹は球界の第一人者に

のちにプロ野球で536本塁打(歴代4位)を記録する山本、通算474本塁打(歴代11位)を放った田淵らは、エースの山中の実力を高く評価していた。

「紅白戦やシートバッティングで田淵さんや山本さんと対戦するときには、『絶対に打たせない』と思って投げて、たいていは抑えることができました。きっとそのときの印象が強く残っているから、『山中はすごかった』と、彼らはプロで大選手になったあとでも言ってくれるわけです。『山中レベルのピッチャーはプロでもいなかった』と。でも実際は、そんなことはないでしょう」

本人は謙遜するが、田淵や山本が後輩を持ち上げる必要などどこにもない。彼らの言葉は本心だったはずだ。ほかにも「おまえなら絶対に成功する」と言ってくれる人はたくさんいたが、山中自身はそう思わなかった。

「プロ野球に行って、そのまま大学時代のボールが通用するかといえば、とんでもない。もしプロ野球に入っていたとして、そこでどう生きていくかという方法を見つけることはできたかもしれない。ただ、プロに行かなかった以上、実際にどうなっていたかは、誰にもわからない」

同じ東京六大学の強豪である明治大学には、のちに読売ジャイアンツのV9時代を支える高田繁が、早稲田大学には、プロ野球で2000安打を記録する谷沢健一(元中日ドラゴンズ)がいた。日本中の名選手が集まる東京六大学で48勝を挙げた山中の実力を疑う者などどこにもいなかった。

「大学時代に抑えたバッターがプロ野球で活躍するのを見ても、『彼らができるのなら、よし、俺だって』とは思わなかった。『プロ野球でさらに努力して、ステップアップしたんだな』と素直に考えていました」

プロの誘いを断って住友金属に

結局、山中はプロ野球で戦うことを選ばなかった。大学4年の春季リーグ戦の段階で、プロに行かないことを表明し、翌日にはそれが新聞で大きく報じられた。山中がプロ入りしないことは大きなニュースだったのだ。プロ野球の球団に対して断りを入れた山中が、就職先として選んだのは住友金属工業(現・新日鐵住金)だった。

「4年生の春のシーズンが終わってから、入社試験を受けました。内定をもらったら、新聞に『山中、住金に入社内定』と出ました。そのあともスカウトの人は来たようですが、もうそれほど熱心ではなかった」

山中は住友金属に入社し野球部に入ったが、野球選手としての目標は特に持たなかった。

「野球選手としての実績を評価してもらって入社したので、『2、3年は野球で貢献しよう。そのあとは早く仕事を覚えないと』という気持ちが強かった。当時、大卒の場合で長くて5年、普通なら3年で野球をやめて、社業に専念するのが当たり前。私もそうなるだろうと思っていました。監督の年齢も30歳ぐらいだったかな」

次ページ当時にしてみれば自然な選択だった
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