「マカロン」を日本人に知らしめた男の機微

ピエール・エルメは、なぜ日本で成功できたか

9月にホテルニューオータニで開かれた20周年パーティでは、さまざまなマカロンが振る舞われた(編集部撮影)

ピンクやミントグリーン、ペールブルーの丸っこい外観に、フルーツやチョコレートなどの甘いフィリング。メルヘンをそのまま菓子にしたような「マカロン」の名を日本に知らしめたのは、フランス人のピエール・エルメ氏と言っていいだろう。だが、同氏の成功はフランスというよりは、「ジャパニーズ・ドリーム」と言える。

9月半ば、東京・永田町のホテルニューオータニで開かれた、「ピエール・エルメ・パリ」の20周年記念パーティ。これまで出されたすべてのマカロンや新作ケーキなどが並んだ会場の中で、エルメ氏はひときわうれしそうな顔でいろいろな人の撮影に応じていた。何しろここニューオータニは、今から22年前、当時35歳だったエルメ氏がデモンストレーション・クラスに訪れた記念すべき場所なのである。

日本に店を開いて驚いたのは…

1996年、東京を訪れたエルメ氏はハングリー精神あふれる無名のパティシエだった。当時、ホテルニューオータニの社長だった大谷和彦氏は、エルメ氏に深い感銘を受け、彼の名を冠した最初の店をホテルニューオータニに出さないか、と申し出た。そして、エルメ氏にとって初めての店を1998年8月22日にオープンする。

「ルノートル、フォション、ダロワイヨ、エディアール……パティスリー界の有名店がすでに名を連ねていた。ホテルニューオータニは、帝国ホテルそしてホテルオークラと並ぶ日本の3大ホテルの1つで、150人規模の結婚式が毎年2000件も開かれていた。 そんなホテルこそが、フランスの食文化を日本に浸透させるための最高の玄関口だった」とエルメ氏は懐かしそうに振り返る。

ニューオータニのパーティでは、これまで作ったマカロンが宝石のごとく並べられていた(編集部撮影)

店を開いて、エルメ氏がまず驚いたのは、日本の従業員たちの几帳面さや熱心さである。フランスでは考えられないほどの献身さをもって、仕事に励んでくれたという。サービスの質もフランスでは望めないほど高いものだった。日本に店を出したことで、新たな食材を使うというチャレンジもでき、それまで知らなかった味にも出会えた。

顧客のレベルも高かった。彼らはみな勉強熱心かつ好奇心旺盛で、しかも裕福だった。日本人に味を評価してもらうことこそ、その後の発展につながると確信した。

それから20年。ニューオータニに初店舗を構えて以来、エルメ氏はフランスで20店、日本で15店を展開するほか、世界各地で15店を構えるまでになった。店舗が増えるにしたがって、従業員の数も増え、現在ではフランスで300人、日本で400人を雇用している。

2016年には、ニュヨークで開催された「世界のベストレストラン50」の授賞式で、「世界の最優秀パティシエ賞」を受賞。「パティスリー界のピカソ」とまで呼ばれるようになった。10個入りのマカロンは3888円と、決して安いとは言えない。が、ぜいたくと言えば、モノよりも体験を意味することが増えてきている昨今、「ちょっと豪華なお菓子を食べる」という体験型ぜいたくを提供してきたエルメ氏は、時代の流れに乗ったといえるだろう。

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