昼夜フル稼働「寝台電車」は昭和の象徴だった クリームと青の特急「583系」が走った時代

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登場時の581系の運用は過酷だった。博多発の上り寝台特急「月光」として新大阪に朝到着すると、今度は寝台を座席に変え、下り昼行特急「みどり」として大分―新大阪間を往復。そして、再び座席を寝台に変えてその日の下り寝台特急「月光」として新大阪から博多に向かう、という昼夜フル稼働の働きとなった。

583系は全国各地を走った。北陸線敦賀付近のループ線で特急「加越」(右奥)と顔を合わせた583系特急「雷鳥」(筆者撮影)

しかし、高度成長期のモーレツサラリーマンや旅行ブームで増えた旅人にはこの寝台電車は好評のうちに迎えられ、以後「金星」「明星」「彗星」「なは」などの西日本地区の寝台特急に次々と投入された。その1つである「金星」は名古屋―西鹿児島間の特急で、昼行特急としては名古屋―金沢・富山間の「しらさぎ」の運転系統に組み入れられていた。同時に東日本地区でも、東北方面への常磐線経由の寝台特急「ゆうづる」、東北本線経由の「はくつる」などで使用されるようになった。

これらの特急は高速運転により青森からの青函連絡船に効率よく接続できるために、北海道への旅行者に多く利用された。筆者も昭和40年代後期の北海道へのSL撮影では「ゆうづる」をよく利用したものだった。これら東北方面への583系寝台特急の昼行特急としては「はつかり」「ひばり」「みちのく」など効率良く運用されていた。

旅慣れた人の「裏技」

583系の寝台上段。天井が低く起き上がるのも大変だった(筆者撮影)
昼の車内。座席は寝台に転換できるボックスシートだった(筆者撮影)

この世界にも例を見ない画期的な寝台電車の車内を見てみよう。寝台は中央に通路を配した線路方向の三段式ベッドが基本で、下段はややスペースが広いが、中段、上段はいったん横になれば起き上がることも難儀するほどの天井の低さ。特に上段は車両限界ギリギリの屋根の曲線の空間だけなので、ここを利用するときは相当な覚悟をしたものだった。

だが、この狭い寝台にも「抜け穴」がある。電車につきもののパンタグラフは屋根から一段低い部分に取り付けてあるため、その下にあたる寝台は上段がなく中下段の二段ベッドだけ。この中段は下段とほぼ同じ空間があるものの、料金は通常の中段と同じだった。ここは通称「パン下」と呼ばれ、パンタグラフと架線が接触する音さえ気にしなければお買い得とあって、旅行慣れした鉄道マニアはここを指定して購入したものだ。

次ページ吹雪の中を疾走した「ゆうづる」取材
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