震災復興に必要なのは、「ふまじめ」な思想だ 「課題先進地区」福島・浜通りを見つめた7年半

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地域の決断は、当然その地域の人たちによってなされるべきだと思う。けれどもそのプロセスは、「ソトモノ、バカモノ、ワカモノ(外部、ふまじめ、未来)」を切り捨てた決断であってはいけない。

時間的、空間的な外部の存在を受け止め、多様な視点を取り入れながら、地域の決断はなされるべきだ。

面倒な問題だからこそふまじめに実践する

そのような外部との交わりは、震災や原発事故の捉え直しにもつながる。震災や原発事故とはどのようなものだったのかを考えるには、当事者の範囲を広げなければならない。あの日東京にいた人も、福島になんらゆかりがないように見える人も、もしかしたら死者や未来の人たちすら、あの震災と原発事故で傷ついたかもしれない。当事者という壁を作ってしまうと、震災や原発事故の被害を限定、矮小化してしまうことにもなる。

『新復興論』(ゲンロン)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

魅力ある地域を作るため、より良い復興を成し得るため、そして、震災や原発事故の記憶を後世に伝えるため、私たちは、外部の声に耳を傾ける必要がある。

そのためのツールが、食・観光・文化芸術である。思わず来たくなる、思わず見たくなる。そんな「欲望」の先に、当事者性の壁をゆるやかに超える観光や、立場を超えた共感や連帯、外部の声や他者の存在に気づく「思想の種」のようなものが落ちている。

課題が大きいからこそ、面倒な問題だからこそ、まじめになるのではなく、あえてふまじめに実践する。その実践は、課題だらけの日本において、私たちが見失ってしまった「思想」を取り戻すための迂回路を作ってくれるはずだ。

小松 理虔 地域活動家・フリーライター

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こまつりけん / Riken Komatsu

1979年福島県いわき市小名浜生まれ。本業のかたわら、オルタナティブスペースを運営しつつ、食のイベントや、福島第一原発沖での海洋調査などを運営している。

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