プロレスで培ったエンターテインメント性も取り入れながら、クワレスイベントは着実に認知度を高めていった。しかし2014年、脇や足の付け根にしこりができ、体の疲労も続くようになった。病院で検査を受けると、悪性リンパ腫だと診断された。がん細胞は全身に転移しており、医師からはすぐに抗がん剤治療を受けることを勧められた。著名人が同じ病気で何人も命を落としていることを知り、本気で死を意識したという。「頭の中が真っ白になりました。何も考えられないくらい驚きましたし、悲しかったですね」と、垣原さんは当時を振り返る。
治療費という、経済的な問題にも直面した。募金をしたらどうか、と提案してくれた仲間もいたが、「もっと大変な思いをしている方に申し訳ないから」と、前向きになれなかった。しかし申し出は相次ぎ、イベント会場の片隅に小さな募金箱を置く程度で、という垣原さんの意向で活動が始まった。その様子は新聞や雑誌、SNSなどで広まり、ついには多くのプロレス・格闘技団体が募金活動を行うようになった。2015年8月には、垣原さんをサポートするための興行「Moving On~カッキーエイド~」が開催された。
「あそこまでしてもらえるとはまったく思っていませんでした。病気で気持ちが沈んでいくなか、本当にありがたかったです。仲間たちの温かさを感じましたし、たくさんの応援を受けて自分を奮い立たせることもできました」
家族の支援も大きかった。娘はがん治療に関するさまざまな情報を集め、“ゲルソン療法”と呼ばれる治療法があることを教えてくれた。これは、野菜を中心に摂取し、塩などの調味料や、動物性タンパク質を一切取らないというもの。肉食中心だった垣原さんにとって、苦痛以外での何物でもなかったが、プロレスラー時代を思い出して乗り切った。
「非常に過酷でしたが、これまでものすごくキツい練習をしてきましたし、自分ならできるんじゃないかと。それに、病気に対する不安が膨らむなかで、あえてキツいことをして、気を紛らわせたいという思いもありました」
リングに復帰したい
そのように闘病するなかで、垣原さんはとある思いに駆られる。それは、「リングに復帰したい」というものだった。プロレス番組で、自身の現役時の試合が放映され、それを見て血が騒ぎ始めたのだ。また、リングで暴れまわる姿を見せることが、復活したという何よりの証しになる。
一度決意したら、後戻りできない性格の垣原さん。医師に話すと必ず止められるため、内緒で復帰に向けたトレーニングを再開した。繰り返すが、垣原さんの病状は小康状態にあるだけで、決して治ったわけでない。無茶なチャレンジであることはよくわかっていた。しかし、UWF入門を目指したときのように、湧き上がる衝動に従って、ただひたすら行動した。
そして2017年8月、復帰興行「カッキーライド」は実現した。垣原さんの対戦相手は、恩師である藤原喜明さん。約10分間の試合時間で、10度もタップを奪われた垣原さんだったが、レスラーや1000人以上の観客たちに、ファイターとしての姿をいま一度披露することができた。沸き起こる“カッキー”コールを全身で受けたときの感動を、垣原さんは興奮ぎみに振り返る。
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