そんな、“音楽もできるアイドル”を目指すというのが、山本彩がNMB48に加入した大きなキッカケだった。
彼女は、兄の影響で小学生のときにギターを始めた。
カナダ出身の人気シンガーソングライターであるアヴリル・ラヴィーンにハマり、「女性がギターを弾いてロックを歌い、等身大で表現する力強さ」にあこがれを抱いた。将来は”シンガーソングライターになって、自分で曲を作って、ギターを弾いて歌う”ことが夢になった。
すぐに音楽スクールに通い、バンドを組んでライブ活動や、オーディションを受ける日々が続いた。
だが、厳しい音楽業界の現実にシンガーソングライターへの夢をあきらめかけ、自分の目指すべき将来の姿を見失いかけた。
そこで、山本彩の音楽への気持ちは一度途切れた。
当時の心境を「自分の将来に興味がなくなってしまったという虚無感が押し寄せてきて、バラバラになりそうでした」と昨年3月に刊行された『山本彩ファーストエッセイ集 すべての理由』(幻冬舎)の中では表現している。
人生の転換点となったオーディション
支えたのは、家族の存在だった。4人きょうだいの末っ子だった彼女を、母は芸能活動と大学進学の両方を見据えながら、どんな高校がよいかアドバイスした。
学年2位の成績を残したこともあり、高校2年時には生徒会長も務めた。高校卒業後は、教師を目指し、大学への進学を考えていたという。
しかし、高校2年の夏に思いもよらない母からの提言があった
「NMB48一期生の募集のオーディションを受けてみないか?」
音楽活動での挫折を感じ、どこか覇気を失っていた娘をずっと気にかけてのことだった。
シンガーソングライターを志していた山本彩からすると、真逆のアイドルの世界には抵抗があった。
それでも、母からの「AKBさんのところなら、基本はアイドルの活動で歌や踊りをしながら、卒業したら、女優やモデルなどの活動ができるし、音楽をやりたいんだったら、そこからまたやれるんじゃないか」という言葉に背中を押された。
「これが最後」と決め込んで受けたオーディションに見事合格し、アイドル・山本彩が誕生した。
それは、アイドルで名前を売り、その先に自分の音楽を築き上げるといった覚悟の決断だった。
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