江戸時代に作られた習慣の「村八分」(冠婚や病気見舞いなど、10ある交際の中で8つを集団で仲間外れにしたこと)でさえ、2分の交際は残しました。葬儀と火災時には総出で力を合わせたのです。
いくら今日、個人が尊重される時代になったとはいえ、人間関係の最小単位である親子が冠婚葬祭も病気見舞いもすべて絶縁とするには、相当な理由があるときだけだと、私は考えます。
しかし親からの虐待などは、この「相当な理由」に入り、そのような親との絶縁は、冷酷でもなんでもありません。
田山様の母上が、父上から受けるストレスが原因で病死したと周囲の人も言っておられるのであれば、父上との絶縁は、単なるあなたの薄情やワガママでないことは十分に察することができます。
絶縁しないとストレスで自分が病気になってしまう
と申しますのも、私の周囲でも昔から、配偶者や同居人のひどい暴言や性格で何十年もストレスを受け、すっかり精神的に参って免疫力が落ちたのか、ストレスで自分の深刻な病気に気づく間もなかったのか、とうわさになった、若くして逝った人を何人か見てきたからです。
ですからそのような、日常的に他者を破壊するしか能のない人とは、それが目に見える暴力でなくとも、我慢して付き合うのは危険なのです。そのような家族とは絶縁しても、冷酷人間でも何でもないと、まず自信を持つべきです。
最近は、家族が不仲であることをオープンに話す人が増えたように思います。それ以前は不仲をひたすら隠し、仲良い家族を装う人のほうが一般的でした。
これは背景に、家族のもめ事など、どこにでもある話で、特別恥でも何でもないことに、人々が気づき始めたのも一因であるように思います。
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