西日暮里と成増、共通点は「沿線開発で挫折」 高級住宅街や行楽地が生まれるはずだった…

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他方、成増農園の隣にオープンした兎月園は、東武・根津が支援したこともあって東上線の集客増を図るコンテンツだった。

約1万2000坪の敷地面積を誇る兎月園には、動物園さながらに動物が展示された。そのほか、ボート遊びができる池や運動場、四季の花を観賞できる花壇などが設けられた。

そうした兎月園の様子からもわかるように、開園当初の兎月園は家族連れで楽しめるテーマパークとして売り出していた。

兎月園と豊島園

家族連れで楽しめる兎月園が、その性格を変えたのは1926年。東上本線と覇権を争っていた武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が、練馬区内に豊島園(現・としまえん)をオープンさせたことがきっかけだった。

近隣に遊園地が2つある状況に、根津は共倒れを憂慮。兎月園を高級料亭路線へとシフトさせた。高級料亭へ路線変更すると、皇族や政治家、財界人などが多数訪れるようになる。1941年には、埼玉県朝霞に陸軍士官学校が移転開設されたことに伴い、軍関係者の来園が増加。兎月園は大いに繁盛した。

成増駅から光が丘方面へと延びる兎月園商店会。ここだけに兎月園の名前が残る(筆者撮影)

しかし、太平洋戦争が開戦したことによって兎月園の経営は暗転。1942年の企業統制令で、閉園に追い込まれた。

兎月園跡地は、国から軍需工場の指定を受けた明電舎の工員訓練道場に転換された。戦後も、そのまま明電舎の社員寮として使用されたが、老朽化で解体されている。兎月園内にあった調度品・装飾品の一部は、港区南青山の根津美術館に引き取られた、

兎月園は成増駅から徒歩10分、現在の練馬区旭町にあった。同地に、当時の面影はない。

成増駅から延びる兎月園商店会にその名前は残されているものの、マンション名や交差点名、バス停名といった部分に兎月園といった文字は見当たらない。

東武・根津がわずかに関与した渡辺町も兎月園も、半ば幻と化している。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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