スターリンに愛された作曲家の暴力性と苦悩 ショスタコーヴィチが音楽に刻み込んだこと

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──国内外で絶賛されたオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は共産党の機関紙・プラウダから批判、攻撃されます。

本ではこのオペラに熱中する観客たちの姿を見て、「スンブール(荒唐無稽)」と叫んだスターリンの心の内を推理した。スターリン自身はこのオペラを19世紀のブルジョワ家庭のどろどろとした人間ドラマと理解していた。階級闘争の物語などと解釈して利用し、スターリンの一言をもって検閲の対象にしたのは取り巻きの連中だ。

芸術家はパトロンに2つの感情を抱く

──スターリンとショスタコーヴィチの駆け引きには恋愛関係のような印象も受けます。ショスタコーヴィチが、形式主義批判で自分を脅したジダーノフの失脚を見通していたのも驚きです。

亀山郁夫(かめやま いくお)/1949年生まれ。東京外国語大学教授、同学長を経て現職。専門はロシア文学・ロシア文化論。『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』の新訳でドストエフスキーのブームを起こす。『磔のロシア』(岩波書店)、『大審問官スターリン』(小学館)など著作多数(撮影:尾形文繁)

芸術家は権力者、パトロンに対しては2つの感情を抱く。愛と嫌悪と。好きなようにやらせてくれているので恩義を感じる一方、過剰な自尊心からくる憎悪もある。その関係は非常に複雑だ。

スターリンにショスタコーヴィチの音楽が理解できていたかどうかは疑問だが、彼を芸術家として尊重していた。同時代の作家や詩人を弾圧し、粛清し、虐殺したが、音楽だけは不可侵だった。神の子のように思ってショスタコーヴィチに特権的な地位を与えていた。ショスタコーヴィチにもおそらく、スターリンが自分を愛しているという確信があったと思う。彼が罵倒していたのはむしろスターリンの取り巻きたちが牛耳る検閲権力だった。

──ショスタコーヴィチの音楽で議論の的になる「二枚舌」。通説では社会主義への礼賛とスターリン権力への批判だとされますが。

「二枚舌」はむしろ、彼自身に向けられていたと思う。引き裂かれている自分自身に対する二枚舌。天才芸術家で超自己中心主義だから、芸術がよければ、音楽がよければいいというところがあった。交響曲第7番「レニングラード」などは戦う市民への励ましとはとても思えない。他者の死を悼む共感力が出てきたのは、晩年になってからだ。

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