野口は、最初に宇宙飛行をしたときの船長に“Save the silver bullet” 、日本語で言えば「伝家の宝刀」について教わり、実践しているという。「自分の発言力の大きさをわきまえて、ここぞというときに刀を抜く。そうでないとつねにわがままを言う人だと思われますから(笑)」。
今、虎視眈々と狙っていることがある。「米国の新しい民間宇宙船に絡みたい。開発でも、訓練でも、宇宙飛行士として乗ることも含めて」。
その目標をにらみながら、まずは日本の有人宇宙開発の拠点作りに力を入れる。これまでNASAをはじめ他国に頼ってきた訓練を、日本で実施できるようにと奔走中だ。飛行機操縦訓練やロボットアームのシミュレーター訓練も整備した。さらに米国や欧州が海底や洞窟で行うような野外での集団訓練を実施できるようにしたいと考えている。
「日本宇宙飛行士たちはみな、宇宙に行くために米国で留学生生活を10年以上続けてきた。そろそろ学生気分は終わりにして、NASAで習ったことを持ち帰り、他国の人材を育てるとき。たとえば日本でアジアの宇宙飛行士や管制官、技術者など宇宙にかかわる人材を育てられるようにしたい」
日本人宇宙飛行士のリアル課長として、野口はアジア初の船長を輩出するだけで満足しない。さらにその先を狙っているのだ。
一方、日本の有人宇宙開発についての風当たりは強い。ISSも「予算に見合う成果が見えない」と、2020年までの継続も危ういし、その後については何も決まっていない。しかし、そんな状況には慣れている。2003年のスペースシャトル事故後にどん底を経験したからだ。
2003年2月、スペースシャトル・コロンビア号は着陸を約16分後に控え、空中分解。宇宙飛行士の命が奪われた。翌月、飛行予定だった野口の飛行は白紙になり、シャトル計画が継続するか、たとえ継続しても自分が搭乗させてもらえるか未知数になった。この経験で野口は「確証はつねにない」「明日宇宙計画が終わってもおかしくない」と悟ったという。
野口は悩んだ末、目の前の訓練に全力を注ぐ。船外活動の訓練でNASA最高時間を重ね、誰にも文句を言わせない実力をつけた。そして本番で船外活動チーフの大役を果たした。だからこそ「終わると思っても絶対じゃない。むしろ延びる可能性だってある」と思える。
宇宙飛行士という狭き門を突破し、選ばれさえすれば、その後は一生安泰な生活が送れるものだと思っている人も多いだろう。しかし、現実は異なる。明日の保証がない不安の中で、次のキャリアを考えて生きる点では、ほかの仕事と変わらない。
だからこそ、「今やれること」に全力を注ぐ。その先に明日がある。過渡期だからこそ面白い。まず実力を蓄え、ネットワークを築き、時流を読み、”宝剣”を抜く時を狙う。「やんちゃ」を経験した野口ならではのやり方に、閉塞感を突破し新しい次元を切り開くカギがあるのではないだろうか。(=敬称略=)
(撮影:梅谷秀司)
※この連載は今回で最終回となります。ご愛読いただきありがとうございました。
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