北朝鮮高官は、なぜ次々交通事故で死ぬのか 不自然なほど多くが事故に巻き込まれている
李済剛は現最高指導者の金正恩(キム・ジョンウン)が権力を継承する過程で要となる役割を果たしたと見られている。2009年1月8日に「若き将軍」が次の最高指導者になるとの知らせを金正日から直接、聞かされた人物だったからだ。
しかし、李済剛は金正恩が最高指導者の地位を継承する前に、交通事故でこの世を去る。2010年6月2日のことだった。金正恩の叔父で、李済剛の強力な政敵、張成沢(チャン・ソンテク)の命令で暗殺されたと考えられている。
最高幹部3人の訪韓にクーデター説が浮上
金容淳の後継者として、対韓国政策の最高職位である党統一戦線部長にまで上り詰めたのが金養建(キム・ヤンゴン)だ。しかし結局は、前任の金容淳と同じ運命をたどることになる。
金養建が朝鮮労働党で対韓国政策にかかわっていた時期は、韓国の対北朝鮮融和策「太陽政策」が2000年代半ばに絶頂を迎え、その後、韓国政権の保守回帰によって崩壊していった時代に当たる。金養建は2009年に韓国の元大統領、金大中(キム・デジュン)の葬儀に参列するためにソウルを訪れているが、金養建と会った韓国人には温厚な紳士であるとの印象を与えた。
金養建は2014年10月、事実上のナンバー2だった国防委員会副委員長の黄炳瑞(ファン・ビョンソ)、党書記で国家体育指導委員会委員長だった崔竜海(チョ・リョンヘ)とともに韓国を訪れ、仁川(インチョン)で開催されたアジア競技大会の閉会式に出席した。北朝鮮の最高幹部3人による訪韓は極めて異例であり、さまざまな憶測が駆け巡った。
このとき金正恩は体調を崩しており、公の場には1カ月ほど姿を見せていなかった。そうした状況で最高幹部3人がそろって韓国を電撃訪問したため、北朝鮮でクーデターが成功したことを韓国側に知らせるのが訪韓の目的で、仁川では南北統一協定が締結される予定になっているのではないか、とするクーデター説まで浮上した。