ある夜、大地さんは、見知らぬ男の車に乗っている里美さんを偶然に家の近くで発見した。里美さんは、大地さんに見せたこともないような笑顔を振りまき、男の車に乗り込んでいった。あっという間に、車は都会の喧騒の中に消え去っていく。まさか、と思ったが、どうしても信じたくなかった。
ある日、日課の掃除をしていると1枚のプリクラが落ちているのが目に入った。男とピースサインをしている無邪気な顔の妻がそこには写っていた。その頃から、妻の浮気は疑惑から確信へと変わっていった。
休日はよく、親戚の法事で出かけると言って出ていった。数日後、義母から電話がかかってきて、「この前は法事で大変でしたね」と言うと、「ええ? 法事なんか、ここ数年1度もないわよ」と驚かれた。
「これまでの話は、全部うそだったのか、と思ったんです。今思うと、その頃にはすでに男ができていたんだと思います」
シングルマザー支援団体との出会い
里美さんは、二人姉妹の長女として育った。親は厳格で、特に母親には厳しく門限も決められていた。女たるもの、家事も育児も完璧にこなしてこそ一人前、そういう教えをたたきこまれた。里美さんは、そんな家庭環境で育ったため、結婚は、異様に厳格な母親から逃れるための唯一の逃避だったのかもしれない。
実家暮らしだった里美さんは、母親から逃れるためには、結婚して、家を出るしかなかった。
「私は、あんな母親にはなりたくない!」
それが里美さんの口癖だった。自由に生きたいし、自由に子どもたちを育てたい――。里美さんが長年背負っていたのは、重い母の幻影であった。
その幻影を、里美さんは大地さんにふと、見たのかもしれない、あるいは、結婚制度そのものに見たのかもしれない。母から逃れるための結婚が、皮肉にも今度は、里美さんをがんじがらめに追い詰めていた。
「子どものために、そばにいてほしい」という大地さんの言葉は、まさに里美さんの自由を奪う憎むべきものだった。そうまるで、あのときの母のように、また私を縛ろうとしている――。
里美さんは、いつしか、ことあるごとにうつろな目で「離婚したい、別れたい」という言葉を口にするようになった。もちろん、浮気相手の男性がいたということもあった。しかし、それは一過性のものだった。決定的だったのは離婚を後押しする支援者がいたことだ。
その頃から、里美さんは、過激な思想を持つシングルマザーの支援団体の活動にのめり込むようになっていったのではないかと、大地さんは考えている。それは、かつて里美さんがマルチ商法にハマったときとそっくりの熱を帯びていたからだ。
「彼女にとってマルチ商法に代わるものが、シングルマザーの支援団体だったんですよ。我慢して結婚生活を続けるよりも、一人で自分らしく生きたほうがいいという思想のおばさんたちにつかまっちゃったんです。『子どものためにも、離婚しないでほしい』とお願いすると、『私を束縛するのか』『自由を奪う憎いやつ』と言って、僕を敵視して、にらみつけるようになったんです。
僕は、『自分がやりたいことがあればやればいいよ、それは応援する。でも、もし俺のことが嫌いじゃなかったら別れなくてもやれるはず』と、彼女を何度も説得したんです。でも、『ここにいて私は幸せじゃない。自分が幸せなら、子どもたちも幸せになれるから、だから別れなきゃいけない』と、まるで洗脳されたかのように同じことを繰り返すだけなんですよ」
結婚は、自分を縛るもの――、それから解き放たれないと自由になれない。そんな里美さんの強い思いは、いくら大地さんが説得してもまったく揺るぎようがなかった。
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