東海道と東北・上越新幹線、なぜ直通しない?

国鉄時代にはあった乗り入れ計画

一方で、引き続き直通運転を望む声もあった。1982年1月に関西経済連合会と東北経済連合会は連名で「東北・上越新幹線の東京駅直結に関する要望」を出している。その中では「最近関西をはじめ東京以西と東北地域の人的、物的交流はますます活発化してきており、東北への企業進出も急速に増加しております」と理由が述べられている。

北陸新幹線のE7系。異なる周波数の区間を走ることができる新幹線車両は存在している(撮影:尾形文繁)

さらに、直通のための車両もつくられようとしていた。1983年には、相互乗り入れ用に周波数変換装置を内蔵した車両を設計、製造することが内定していた。その際の直通は、「仙台、高崎以南と新横浜、静岡、名古屋、新大阪間となりそうだ」(『日本経済新聞』1983年11月17日朝刊)と予測されていた。

実現しなかったホーム共用

だが、JR発足後にその状況は変わっていく。JR東日本の新幹線が東京駅に乗り入れる際、東海道新幹線の14番線ホームを共用したいとの同社の要望を、JR東海ははねのけた。

1988年8月22日の『朝日新聞』朝刊によると、JR東日本は「十四番線だけは、例えば仙台―大阪直通の新幹線列車を走らせることができるよう、線路をつなぐべきだ」「直通列車はすぐ無理でも、東北・上越の一部をこのホームに止めれば、同じホームで、すぐ向かいの東海道に乗り込めるから直通とほぼ同じ便利さが生まれる」などと主張している。

一方、JR東海は車両の問題や信号・列車制御系統の問題を挙げたうえで、さらに「直通列車の利用者は、極めて少ないと見込まれ、構想は国鉄時代にいったんつぶれている」と反論している。

結果的に、1991年に上野から東京まで延伸したJR東日本の新幹線は開業当初、現在の22・23番線のホーム1面しか使えないことになった。新幹線のための用地は、そこまでしか確保されていなかったのだ。

だが、長野新幹線(北陸新幹線)が開業すれば、さすがにこれだけではホームが足りないのは明らかだった。そこで従来はほかの路線と並んでいた中央線のホームを現在の高架ホームとし、その他の路線をずらしたうえで2面4線を確保。1997年の長野新幹線開業時には現在の新幹線ホームの姿が確立された。

結局のところ、新幹線同士の直通計画はかつて存在したものの、ダイヤ上の制約などから困難となり、実現しなかったのだ。

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