ホンダがアメリカで熱狂的に愛される理由 3年連続イヤーカー受賞を支えるブランド力

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技術開発の面でよく知られる逸話に、英国のマン島TTレースへの参戦がある。創業からほどない1953年に本田宗一郎はレース出場の宣言を行い、そこから7年後の1961年に完全優勝を果たした。さらに4年後の1965年には、4輪のF1レースで初優勝を達成している。トヨタや日産自動車に比べあとから創業したホンダの名が、2輪4輪含め世界にとどろいた。

欧州を中心とした2輪と4輪のレース活動における成果と別に、海外市場への展開は米国を主力とした。米国は第2次世界大戦の勝利国であり、なおかつ戦地となることがなかったことから、20世紀の豊かさの象徴となった。国土の広さと、多くの市民による貪欲な消費が、事業の発展に躍動を与える。

「世界のホンダ」を口にした本田宗一郎に対し、副社長の藤沢武夫は米国進出に狙いを定めた。

ホンダは、カブ号(自転車用補助エンジン)を台湾へまず輸出し、続いてフィリピンと沖縄(復帰前)へも出荷した。東南アジアから世界へという社内の声に対し、藤沢武夫は、「資本主義の牙城・世界経済の中心であるアメリカで商売が成功すれば、これは世界に広がる。逆にアメリカでヒットしないような商品では、世界に通用する国際商品にはなりえない」という持論を述べたと伝えられる。

2輪車の新たな価値を米国人に印象付けた

経営のすべてを本田宗一郎から任されていた藤沢武夫の言葉に従い、1958年にホンダは米国市場へ向けスーパーカブのほか、ドリーム号やベンリィ号の輸出を始めた。

アメリカでオートバイといえば、ハーレーのような大型が一般的で、スーパーカブのように小さな2輪車はほとんど市場のない状況だった。しかし、小さな排気量でもエンジン性能が高く、耐久性があって壊れない。人々の足として日常的な移動に便利という2輪車の新たな価値が米国でも人気を呼ぶことになる。フロントカバーやステップを持つ構造がスカートをはいた女性に適しており、250ドルという低価格も購買意欲を高めた。

同時に、「ナイセスト・ピープル・キャンペーン」を実施し、好評を得た。のちに国内でも、「素晴らしき人、ホンダに乗る」という広告が展開された。映画『イージー・ライダー』で描かれたように、大型2輪車にまつわるアウトロー的な印象に対し、スーパーカブに乗って賢く暮らす2輪車の新たな価値を米国人に印象付けたことは、ホンダブランドそのものへの米国における好感度をおおいに高めたに違いない。

昨2017年10月、スーパーカブは世界累計1億台を達成した。市場を切り開く先兵としてスーパーカブの存在は大きく、2輪事業で創業したホンダの海外展開が、4輪での市場開拓の下地作りを担うことになった。

ホンダに限ったことではないが、ホンダが1950~1960年代に行った米国市場への挑戦は、ことに米国の西海岸と東海岸地域において新旧含め日本車を多く見かけるきっかけにもなったといえるのではないか。

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