80年代の学生が顧みる東京と地方の大きな差 橘玲×湯山玲子「体験できることが違った」

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橘玲氏と湯山玲子氏の対談、第1回目です(撮影:七咲友梨)
経済や投資に精通する人気作家・橘玲氏。しかし、自らの半生を綴った新刊『80’s』ではそういったおカネの話などまるで出てこない。社会の最底辺を味わいながらも、日本がいちばんキラキラしていた1980年代をがむしゃらに駆け抜けていた。ほぼ同世代、同じ時代を生きてきた著述家・湯山玲子氏と探った80年代の正体とは? 全3回の短期集中連載で2人の対談をお届けする。 

80年代はどういう時代だったのか

橘 玲(以下、橘):僕は浜松の田舎者で、大学に入るまで東京に出たことはありませんでした。湯山さんは東京出身ですよね。ほぼ同い年ですが体験は全然違うと思います。湯山さんにとって80年代はどういう時代でしたか?

湯山 玲子(以下、湯山):まず70年代ですが、私は反抗的な中高生で、学校には適応しつつもその「みんないっしょ」感が苦手でした。橘さんもそんな若者だったはずですよ。ただ家が吉祥寺の近くだったので、中央線沿線に色濃くあった全共闘文化における、アンダーグラウンドカルチャーに惹かれて、よくロック喫茶、ジャズ喫茶なんかに行ってましたね。

:学校ではジャズ喫茶に行くような子は結構いたんですか?

湯山:高校ではポツポツですよね。私は、友人とは別にひとりで行ってた。ディスコはつるんで行ってましたけどね。ハマったのはプログレ(プログレッシブロック)かな。イエスが好きで、紅白を見ずに部屋でイエスの『海洋地形学の物語』に耽溺したのを覚えていますね。

:僕の周りにもピンクフロイドとか聞いてるプログレ好きはいましたけど、いちばん流行っていたのはKISSやディープパープルなんかのハードロックでしたね。ただジャズはいない。その頃、僕はジョン・コルトレーンやオーネット・コールマンのフリージャズにハマってたんですが、周りと全然話が合わなくて。ジャズ喫茶なんて1軒もないから、自分でジャズ雑誌を買って読んでるくらいでした。

湯山:当時ちょっと知的に装うには、上の世代はジャズなんですよね。「オレやワタシはお前らとは違う」というツッパリです。当時の杉並区の学生はプログレだった。『フールズメイト』という小難しい悪文ばかりのロック雑誌を片手に、ね。

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