80年代の学生が顧みる東京と地方の大きな差 橘玲×湯山玲子「体験できることが違った」
橘:ファッション誌は何を読んでたんですか?
湯山:当時は圧倒的に『JJ』ですよね。だって、友達が読者モデルで登場しているし。その一方で、音楽的にはファンクの一方、ニューウェーブにも触手を伸ばしていたので、そっちの服も持ってるんですよ。だから学校に行くときは紙袋を2つ持っていって(笑)。
橘:あ、TPOに合わせて(笑)。
湯山:そう! 大学では髪の毛サラサラの女子大生ファッション、渋谷のニューウェーブの本拠地「ナイロン100%」に行くときは、途中でトイレ着替えをして頭にターバン巻いて、黒一色にして行く、みたいな(笑)。逆に言えばそれほど若者にトライブがあった。一種の「部族」ですよね。そこにはドレスコードが厳然とあって、違う「部族」のものを着て行くと、敵視されるじゃないですか。今はみんな普通のカジュアルで、クラブに行こうが、街コンに行こうがどこへ行ってもオッケーですけど、そういうのがすごくハッキリしてた時代ですよね。
時代は記号論化した世界へ
橘:お話を伺っていると、当時はどこで生まれたかで体験が全然違いますね。そこが面白い。今だと地方都市にいても東京とそんなに変わらないじゃないですか。僕は社会人になって初めてファッション好きな女の子たちの世界を知りましたから。
湯山:多くの年上の知り合いは、私を含めた田中康夫的な感性を本当に嫌ってバカにしてましたよね。だけど、そのうち吉本隆明が『アンアン(anan)』にコム・デ・ギャルソンの服を着て、コメントするというシフトが起こった。記号論とポストモダンですよ。フッサールなんかが流行りましたよね。あと浅田彰の『逃走論』の登場も大きかったかな。
知的なものが以前の左翼的な言説じゃなくて、消費上等のこちらの味方に付いちゃった。今まで説教していた長髪オヤジが急に髪を刈り上げてこっち側に来たのが、80年代中盤くらいという印象があります。
橘:大学には全共闘的なものも残ってましたよね。僕の場合は、全共闘世代の30歳前後の“オヤジ”がウザくてポストモダンにハマったというのがあります。「なんなの、この人たち」と思っても、マルクスの弁証法がどうのこうのと言われると反論できない。そんなときに、理解なんかできていなくても、フーコーとかデリダとか言うと向こうは黙るじゃないですか(笑)。「まだ『資本論』なんか読んでるの?」って。
湯山:そうそう! ウザいやつを黙らせるネタとしてね(笑)。強力だったのは、その思想の覇権のシフト変化に、バブル前夜のおカネや消費の後ろ盾がついちゃったことですかね。
橘:ロシア語のサークルにいて、古くからある社会科学系のサークルだから革マル派の年上の学生や元学生が時々オルグ(勧誘)しにくるんです。『現代思想』や『エピステーメー』を夢中になって読んだのも、それが知の最先端だったというのもありますが、「このウザいやつらを黙らせたい!」というのもあったんじゃないかな。
(構成:中島 晴矢)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら