なぜドイツ人は平気で長期休暇をとれるのか 法制度以上に国民性がバカンスを支えている

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さらに休暇は身近なものである。ちょっとした立ち話でも「今年はどこへ行くのか?」といったことが話題になる。また学校は夏休み・冬休み以外に、カーニバルやイースターなどの時期に1~2週間ほど休みになるが、このとき大人も休暇を取ることが多い。

こういう時期のアポイントメントを入れるときなどは、「休暇を取っていますか?それとも出社していますか?」といったふうに確認することもよくある。そんな具合なのでイースターなどの時期は、明らかに社会そのものがゆっくりした感じになる。

休暇は最初から「バカンス」用だった

連邦休暇法は労働者の権利獲得の賜物といえるが、それは19世紀からはじまっていた。

バカンスは長期滞在が基本。それゆえ海岸沿いのリゾート地では、朝夕に散歩やジョギングなどを楽しむ人も多い(筆者撮影)

もともと「休暇」は軍隊などからしばらく離れる許可のことを指していたが、今日の仕事に対する「休暇」の登場は1873年。公務員に有給休暇制度が導入され、上級の職員は年6週間の休暇を得た。1918年には労働組合の活動が奏功し、多くの労働者が休暇を取得した。もっとも当初は年1週間未満だったようだが。

休暇は当初からレクリエーションや娯楽のために使われた。これは富裕層が優雅に過ごす様子がある種の理想像としてあり、労働者の権利の中に入ってきたと考えられる。また1834年にドイツ初の鉄道がバイエルン州のニュルンベルク―フュルト間に敷設され、以降延伸。休暇を支える移動手段も整っていた。

「休暇」の流れは第2次世界大戦中、妙な発展を遂げる。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が、1933年に余暇のための組織「喜びを通しての力」を作った。特別列車で安価な旅を実現。国民車「フォルクスワーゲン」もこの中で普及した。

また、ミュージアムや劇場、スポーツ施設を余暇として利用することも定着したようだ。これは今日の「余暇の過ごし方」とも重なる。もちろん、同組織はナチス党に労働者を取り込むのが目的だったが、余暇が労働のための力を再創造するという発想が見て取れる。日本にも「歓喜力行団」と訳され、外交の一環として交流もあったようだが、当時も日本側には「余暇」がピンとこなかったようだ。

戦後、1960年代に入ると、旧西ドイツでは旅行会社ネッカーマンが「ネッカーマンは(バカンスを)可能にする」といったコピーで格安のバカンスを提供するなどの動きがあり、長期休暇の定着に一役買った。また産業の興隆と同時に国民の健康問題にも注目が集まり、スポーツ組織が州や連邦に働きかけるかたちで、各都市でスポーツ施設も拡充した。

こうした経緯を見ると、休暇は最初から娯楽やバカンスを前提に社会・経済・政治が動き、権利や習慣として定着してきたのがわかる。休暇による渋滞を緩和するために、学校の夏休みも州ごとに異なるが、これも19世紀からの流れを見ていくと納得できる。

イタリアのリゾート地。ドイツからやってくるキャンピングカーがひしめき合う(筆者撮影)

ドイツに駐在した日本の会社員の中には、帰国後もドイツのような時間の過ごし方を大切にしたいと考える人がいる。

しかし日本で働きはじめると、あっという間に日本ペースに戻り、長期休暇は難易度が高くなる。直接的な原因は職場の労働環境であろうが、ドイツの様子から考えると、「長期休暇は必要」という了解が日本社会で全般に定着していないのが大きな理由だろう。

日本でも高度経済成長期には観光産業が発達したが、「安近短(安い・近い・短い)」の消費型。その象徴的な旅行先が、国内では熱海、海外ではグアム・サイパンといったところだろう。戦中のナチスの余暇団体の理解が難しかったころと、あまり変わっていないのかもしれない。

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