世界初の地下鉄がキュウリに例えられた理由 英国公文書で分かった「地下鉄」の誕生秘話
「鉄道の父」が作らせた機関車の見取り図
1804年、世界初の蒸気機関車を走らせたのは、リチャード・トレビシック(1771~1833年)だ。トレビシックは「ペナダレン号」をウェールズ地方のペナダレンーアベルカノン間で走行させた。10トンの鉄と5両の客車、70人の乗客を乗せたペナダレン号は16キロメートルを走り、4時間5分でアベルカノンに到着する。平均時速は約3.9キロメートルである。
トレビシックは鉄道の歴史にその名を残すものの、彼が手掛けた蒸気機関車は実用化されずに終わってしまったので、「鉄道の父」という名称は別の人物に渡すことになった。これが、北部ノーサンバランド州ワイラムで生まれたジョージ・スティーブンソン(1781~1848年)だ。
貧困家庭出身のスティーブンソンは、幼少の頃は学校に行くことさえままならなかった。小さな頃から炭鉱の機関夫だった父の助手として働き出し、後に夜間学校に通って読み書きを学んだ。
結婚して家庭を持ち、1803年には愛息ロバートが生まれたが、その後に生まれた長女がすぐに亡くなり、妻フランシスも病死した。いったんはスコットランドに職を求めて渡ったものの、再度家族の元に戻り、1811年からはノースタインサイド州のキリングワース炭鉱で機械修理を統括するようになった。いよいよ、ここでスティーブンソンの視野に蒸気機関車の開発が入ってくる。
当時、蒸気機関車の目的は木材や石炭などの燃料輸送である。1814年、「ブリュヘル号」の走行に成功した。世界初の蒸気機関車による商用鉄道の開通も、スティーブンソンが手掛けた。1825年9月27日、イングランド北東部ストックトン―ダーリントン間が初の走行だった。
この蒸気機関車の製造のため、スティーブンソンは息子の名前を冠した「ロバート・スティーブンソン・アンド・カンパニー」を立ち上げる。ロバートは18歳で常務取締役に就任した。ロバート・スティーブンソン・アンド・カンパニー社は初期の蒸気機関車の大半を製造し、スティーブンソンは「鉄道の父」と呼ばれるようになる。
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