日本国内のスポットライトの当たり先がずれていく
これに対し日本側で歴史認識に関する“スポットライト”の当たり先がどう変遷してきたか考えよう。まず過去の歴史に関して、反省というより話題にせずタブー視することが長年続いてきたのはご存じのとおりである。
そこに“北朝鮮の拉致問題”が発覚し、侵略への後ろめたさからタブー視してきた世論が一気に“日本は被害者”というポジショニングに大転換し、“自虐史観”という大キャンペーンが始まり、結果的に“自慰史観”が流布されるようになった。また中国の台頭と強硬な姿勢は軍事的脅威から、対アジア強硬外交派が水を得るきっかけともなった。
それに加えて“領土”を隣国が不法に占拠し、中国が日本の固有の領土を脅かしている、と政府とメディアと歴史教科書が一体となって、システマティックに排外的感情をあおるようになったが、これは憲法を変えて再軍備と強硬外交をするための世論情勢に利用するためにナショナリズムをあおっている一面もあろう。
本来はどちらの領土だろうと両論併記で国際理解につなげる努力を双方がすべきだが、これらが隣国への憎しみや差別的感情を沸騰させたヘイトスピーチにつながり、それを都知事が“合法”と言うなど、政治家が容認するという驚きの事態につながっている。
結果的に生じた近代史教育不在の空白に戦前議員の右派二世・三世議員の台頭に加え、長引く不況と失業の増加に伴う排外主義の高潮も相まり、「アジア侵略は嘘で、中韓による歴史捏造の日本は被害者」という世界でもまれにみるガラパゴス史観がネットで急速に普及するようになってしまった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら