東大卒「ときど」選手が語るプロゲーマー人生 eスポーツを舞台に海外でも活躍
――海外ではeスポーツの盛り上がりがすごいらしいですね。
毎年、世界中の格闘ゲームのコミュニティが集まる「EVO」という大会が米国で開催されるんですが、大会規模がどんどん大きくなっています。昔はロサンゼルスの体育館が会場で、参加者も250人ぐらいだったんですよ。それがラスベガスに移り、年を追うごとに会場が豪華になって、去年は(ボクシングの世界タイトル戦などが行われる)マンダレイベイの大型アリーナでした。来場者数も1万人を超えたそうです。
――そのEVO2017のストリートファイターV部門(参加登録者は約2600人)で、見事優勝を果たしました。
優勝できたことで、ちょっとは自分に自信が持てるようになったかな。でも、それくらいですね。1回優勝したところで、別に何も変わりません。次も優勝できる保証はどこにもないわけですから。
東大生からプロゲーマーになった理由
――進学校の麻布高校から東大(理科1類)に進学し、2010年に大学院をやめてプロゲーマーとしてデビュー。経歴としては異色です。
僕の場合、子どもの頃からずっとゲームをやるために勉強していたんです。学校ではなく、放課後のゲームのコミュニティが生きがいで、ずっとそこが僕のメインの居場所でした。ゲームがいいものだとはまったく思っていなくて、ゲームを正当化するために勉強していました。
でも、それを仕事にする人が現れた。僕がちょうど大学院に進む直前、(ゲームの先輩の)梅原大吾さんがプロ宣言したんです。それをニュースで知ったときは本当に驚いた。「えっ、そんな道あんの?」って。それまでゲームで食べていけるなんて、まったく思いもしませんでしたから。
――最終的には、ときどさんも梅原さんの後に続いて……。
僕は大学院で大きな挫折を味わいました。研究も全然はかどらない。それで人生に悩んでいるときに、米国のアパレル会社から勧誘のメールが来たんです。「スポンサーになるから、プロのゲーマーにならないか?」って。大学時代も海外の大会である程度の成績を残していたから、誘ってくれたみたいで。
スポンサーっていっても別に大した報酬はなくて、「日本にグッズを送るから、それを自分で売っておカネを稼いでね」みたいな話だったんですけど(笑)。当時、僕は地方公務員の試験を受けていたんですよ。最終面接が近づいたときにプロの誘いが来て、すごく悩みました。公務員かプロゲーマーか。究極の2択です。いろんな人に相談したら、「ちゃんと就職したほうがいい。ゲームは趣味として楽しめばいいじゃないか」とみんなから言われましたね。
――それでもプロゲーマーの道を選んだ理由は?
自分の中の声です。梅原さんや競ってきたライバルたちがみんなプロのゲーマーになって、自分のいない大きな大会でバチバチやり合う。公務員になっていくら生活が安定しようが、そういうシーンを見たら僕は絶対に我慢できないだろうなって。