「他人との距離感」がつかめない人への処方箋 「何かを犠牲にしていないか」がポイント

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Sさんのケースをご紹介しましょう。Sさんは40代前半のサラリーマン。部署移動をきっかけに上司から理不尽な扱いを受けるようになりました。どう考えても期限内に終わらない仕事を押しつけられる、また他の社員の前で非難、否定されることなどが続きましたが、Sさんは上司の気分を悪くさせまいと黙って耐えていました。

そのうちに夜帰宅すると、職場でのイライラを専業主婦の妻にぶつけるようになりました。「俺ばかりが外で苦労しているのに、お前は何をしている、どうして部屋がこんなに汚い、飯もまずい……」。妻はSさんに対し何も言い返せぬままうつむくばかりでした。しかし妻にもイライラが募ります。標的になったのは中学受験を控える一人息子のK君でした。模試で思うような結果が出ないK君は母親から「あなたのせいでママがずっとイライラするのよ」と言われ続け、混乱状態のまま受験、残念な結果に終わってしまいました。

このケースの場合、Sさんが理不尽に押しつけられたときのモヤモヤ感と向き合い、現実的な話し合いの場を持つことが必要でした。Sさんには上司のご機嫌を取る責任などありません。上司の事情を理解しつつ、自分の状況や気持ちを伝え、現実的な提案をして仕事を進めることができていれば、家で荒れることもなかったでしょうし、妻も息子をしっかりサポートできたかもしれません。

バウンダリーを見直すもうひとつのポイントは、自分と相手との関係を客観的に考えてみることです。いつも自分が損をしている、我慢している、自分がなくなっていく感じ……このような感覚があると、守られるべきバウンダリーが守れていない可能性があります。

Tさんのケースです。Tさんは同僚のIさんと休日によく遠出をしていました。でも車を出すのはつねにTさん。「Iさんは車がないので仕方がないし、ありがとうとは言ってくれるけれど、せめてガソリン代は負担してくれてもいいんじゃないの?」とTさんは悶々と思い悩むようになり、そのうち職場でもIさんを敬遠するようになってしまいました。

この場合、Tさんが「自分は車を出すから、Iさんにはガソリン代をお願いしたいんだけどどうだろう。ほかに何かいいアイデアあるかな」とサラリと伝えることができていれば、職場で気まずい思いをすることもありませんでした。この後TさんはIさんとの間でお互いのバウンダリーの妥協点を探し、それぞれが納得のいく形を見いだすことができ、2人の関係も改善したそうです。

「何かを犠牲にしていないか」が見直しのポイント

バウンダリーは公私、感情、身体、価値観、責任、持ち物などあらゆる領域に存在します。それぞれの分野におけるバウンダリーについて「私はここまで」と具体的に決めておくことが自分を守り、相手の尊重につながります。たとえば「残業は7時まで」「仕事のパソコンは休日には見ない」「LINEの返事は急がない」「パートナーから求められても、気乗りしなければ応じない」などです。

またバウンダリーは相手によってもその位置や高さが変化します。安心できる人との会話は特にバウンダリーを意識しなくても豊かな時間となりますが、距離を置きたい友人の場合は、相手から連絡が来ても必要なこと以外は話題にせず、早めに切り上げるなど具体的に行動することが大切です。「相手に良く思われたい」と思うより、「そこに心を砕くことで、大切なものを犠牲にしていないだろうか」と振り返り、自分なりのルールを設ける姿勢が自身の心を大切にすることにつながります。

そうは言っても、昔から「和」を重んじてきた日本の土壌では、「自分は他人の道具にされない」という個人的意識や感覚は受け入れにくいと感じる向きもあるでしょう。他者あっての自分、という考えも円滑な人間関係を構築するうえで必要なときもあります。しかし、自身の価値や尊厳を侵されないためのバウンダリーの大切さについて意識をしておくことは、自分が自分らしくあるためにとても大事であることを理解していただければと思います。

筧 智子 公認心理師

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かけひ ともこ / Tomoko Kakehi

ストレス診断・出張カウンセリング・メンタルヘルス研修・人事や管理者へのコンサルテーション・復職支援プログラムなどを手掛けるEAP(従業員支援プログラム)プロバイダーに勤務。また心療内科での心理職としても活動。上智大学大学院の博士後期課程に在学中でもある。

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