「人口減」でも限界集落を見捨ててはいけない 強靭な日本のために「山の知恵」は不可欠だ

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そうした基幹的なインフラのありがたみは、村で暮らしているとすぐにわかりますし、外の人間にはなかなかわからない部分でもあります。けれど、農業用水をはじめとして、村を成立させているインフラと、それを可能としてきた村の文化がなければ、村自体が存在しないのです。

その村の文化は、一度滅ぶと、再生させることができないのです。私にはもったいないことだと思えてなりません。

これからの日本経済を考えるとき、「全面的にグローバル経済に依存すべきだ」とか、「いや、これからは保護主義的な自給自足経済へと向かうべきだ」とか、そうした二者択一的な議論は多分、不毛だと思うのです。

現実の経済では、自分たちの目の前をグローバルに物が動いている一方で、これからの時代はますます先行きが見通しにくく不安定な社会になってもいて、いつ何時、大きな経済危機や社会混乱が襲いかかってくるかわかりません。

そんな社会の危機のとき、効率優先で考え行動することに慣れているグローバル経済に向いたメンタリティの人々には、冷静に事態を処理することはできないでしょう。思考停止に陥り、なかにはパニックを起こす人も出ます。

つまり、社会が正常に動いているときには有能なビジネスパーソンが、危機のときには役に立たず、むしろ社会不安を煽ってしまいかねないわけです。

効率性は必ず脆弱性と表裏の関係になります。正常に物事が進んでいるときには最大の効率をもたらすけれど、一度、異常が起こればたちまち機能停止に陥るという弱さを持つということです。

もし、変化に強い、強靭な社会を作ろうとするのなら、ある程度は効率を犠牲にして、冗長性を持たせる必要があります。異常事態では、経済効率ではなく臨機応変に手近なものを利用する知恵のほうが重要だということです。

たとえば、予定していた物が海外から入らなくなっても、国内にある物でとりあえずの解決に導いてしまうという発想の柔軟さと、冷静な心が求められるからです。

危機のときに役に立つのは、効率優先のメンタリティではなく、たとえば3カ月間交通が途絶えても慌てることのないメンタリティと生き残ることのできる知恵です。

そうしたメンタリティと知恵が、山の中にはあります。

人にも多様性を求めるべき

私は何も、日本人がすべて山間地に住み、何でもできる柔軟な人間になるべきだなどと言いたいわけではありません。

現実には、効率的な仕事のできる、専門性の高い人たちも必要です。ただ、何でもできる柔軟で強靭なメンタリティの人がある程度の数だけでもいないと、もし、社会が危機を迎えたときに大変なことになると言いたいだけなのです。

狭い分野の専門性の高い人も必要、何でもできる柔軟な人も必要。

これからの社会では、人材にもさまざまなタイプが共存すべきだと思います。多種多様な能力を持った人々がいることで、何か大きな変化があっても、誰かが対応できるようになります。人材の多様性が社会を柔軟にし、強靭にしてくれるわけです。

次ページ「小水力発電」が「山からの価値」を生む
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