南北急接近の底流にある2人の「特異な出自」 金正恩は北朝鮮でなく、文在寅は韓国でない

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しかし、米軍を中心とする国連軍と韓国軍が戦況を逆転し、中朝国境付近まで兵を進める。そこで100万人以上の中国人民義勇軍が国境の川・鴨緑江を渡って参戦し、形勢が再び逆転。米国を中心とする国連軍と韓国軍は、南への後退を余儀なくされた。 

北朝鮮からの避難民たちも、軍人のあとを追うように、持ち出せる精一杯の荷物を抱えて、南を目指す。日本海に面した北朝鮮南部の興南の埠頭には、戦火を逃れた10万人以上の避難民が押し寄せ、韓国に逃げる救援船を待った。

1950年12月20日、港に停泊していた米国の艦船が武器を積み込み、港を離れる準備をしていた。「避難民を助けて欲しい」との韓国軍の懸命の要請を受けて米軍は方針を変更、すでに積載していた武器を下ろして、避難民を船に招き入れた。

血縁のいない見ず知らずの土地

その中に、米国の貨物船『メロディス・ビクトリー号』の姿もあった。定員1000人あまりのこの船に、約1万4000人もの避難民が乗り込んだ。ひと組の若い夫婦が、大勢の避難民にもみくちゃにされながら船に潜り込む。それが、文在寅の両親だった。

船は韓国の南部の島、巨済島にたどり着いた。ここにあった難民キャンプで、夫婦は暮らした。血縁のいない見ず知らずの土地だ。

1953年にこの島で2人の長男として生まれた文在寅は、その後家族とともに大都市・釜山に引っ越すが、貧しい生活は変わらない。

暖房用の煉炭配達をする母を手伝ってリヤカーを引っ張る日々。リヤカーが斜面から落ちて、文在寅は危うく大けがをしそうになったこともある。

その後、浪人生活を経て、全額奨学金のあるソウルの大学に入学。しかし民主化を求めるデモに参加したことで投獄され、大学は除籍。のちに軍隊に強制徴集される。

父の死を機に猛勉強を開始、司法試験に挑戦し、一次試験をパスした。またしても民主化デモに参加して逮捕され、二次試験は警察の留置場で受けたというエピソードもある。

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