白鵬はなぜこんなにも批判にさらされるのか 横綱「白鵬」の大きな矛盾が示す破格の器量
おそらくここに書かれていることは白鵬にとっての最高機密事項だ。対戦する力士にとってみれば喉から手が出るほど欲しかった情報だろう。だが、たとえ他の現役力士たちが本書で手の内を知ったからといって、それで白鵬に勝てるかといえば、その可能性は限りなく低いと言わざるを得ない。なぜならここで白鵬が明かしている秘密は、「相撲の奥義」とでも呼ぶべきものだからだ。白鵬がいかに前人未到の頂に立っているかということが、本書を読んでよくわかった。
白鵬がいかに凄い横綱かは、歴代1位の記録を並べるだけで一目瞭然だ。
(いずれも2017年九州場所終了時点の数字)
63連勝を初めとする30連勝以上が6回
51場所(8年半)連続の二ケタ勝利
9年連続の年間最多勝(2007年-2015年)
横綱通算勝利、776勝
幕内通算勝利、970勝
7場所連続優勝
横綱連続出場、722回
空前絶後の記録である。モンゴルの首都ウランバートルの都心で育った都会っ子で、5人兄弟の末っ子(兄ひとり、姉3人)に生まれた白鵬は、15歳で来日した時は62キロしかなかった。序の口最初の場所は負け越し、その後、序二段でも、三段目でも、幕下でも一度も優勝経験はない。そんな青年が後の大横綱になろうとは誰が想像できただろう。
著者が人間・白鵬に初めて関心を抱いたのは2010年春場所のこと。朝青龍の突然の引退でたったひとり綱を張らねばならない重圧の中、全勝優勝を果たしたのだが、恒例の優勝インタビューで勝利の哲学を問われた白鵬は、「勝つ相撲をとらないことです」と答えた。この謎かけのような言葉が白鵬を徹底取材するきっかけとなったという。
白鵬が追い求めた究極の立ち合い
この言葉に象徴されるように白鵬の思考は独特である。ひところ話題になった「後(ご)の先(せん)」の追究もそうだ。
相撲は立ち合いがすべてとされる。だが伝説の横綱・双葉山は、立ち合いで遅れても、結果的に相手に先んじる「後の先」を相撲の極意として説いた。双葉山は幼い頃に右目の視力をほとんど失っており、視界をカバーするために極められた技だと思われるが、そのルーツは宮本武蔵が『五輪書』で説いた「待(たい)の先」にあるとされる。巌流島で佐々木小次郎の電光石火の燕返しを破った秘術だ。
この究極の立ち合いを白鵬は追い求めた。双葉山は必ず右足から出ているがそれはなぜか。腰の入れ具合はどうか。顔の向きは右か左か。「待つ時間」の見切りはどうすればいいか。百分の何秒かの遅れで土俵の外に弾き飛ばされる恐怖とどう戦うか――。そんな一つひとつの要素を、白鵬はなんと場所中に試していく。しかもそれが連勝記録の更新中だったというのには驚いた。さらには62連勝を飾った日馬富士戦で初めて「後の先」が完璧に決まった瞬間を体験したと聞くに至っては唖然とさせられる。
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