「ペッパーの父」は誰なのか?親権問題の深層 ベンチャー気質が売りのソフトバンクが変貌

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まさにリーダーと思われる仕事だが、会社側が否定する背景は以下のとおりだ。

ペッパーの開発におけるすべての決定権を握っていたのは孫正義社長だった(ここから、冨澤氏は「ペッパーの父は孫社長だ」としている)。また、ロボット事業の責任者は冨澤氏が2011年10月から務めていた。さらに、ペッパー事業は大掛かりなもので、ソフトやハード(主に仏アルデバラン社が担当)、宣伝(ブランディング)など、いくつものチームが同時並行で開発を進めていた。そのため、チームごとに中心人物が存在していた。

ソフトバンクロボティクスの冨澤文秀社長(撮影:2016年5月、尾形文繁)

たとえば、主にOS(基本ソフト)周辺を担当し、アルデバランとの連携にもかかわった柴田暁穂氏や、ペッパーのデザインを担当した浦元芳浩氏。林氏の上長の立場でコミュニケーション、キャラクター、コンテンツを担当した蓮実一隆氏などが挙げられる。彼らは、後にメディアの取材にも応じたリーダーたちだ。こうした点から、ソフトバンクは林氏について「技術開発の責任者や中心的な存在ではなかった」と説明している。

それではなぜ、かつて林氏を「開発リーダー」として各メディアに紹介したのか。広報は「製品発表前からプロジェクト全体を把握できる立場にあり、メディアに正確に伝えることができる人物だったため」と、開発リーダーとして紹介したのは方便だったことを説明する。すなわち、対外的なわかりやすさを優先し、実際にはなかった「開発リーダー」というイメージ的な肩書の使用を許可したのだという。

「中心的な役割を果たしていたはず・・・」との証言も

それでも納得できない点は残る。林氏は在籍時、東洋経済の取材に対して「2カ月ごとに孫社長とのミーティングを設定し、それを目標にギリギリ達成できる範囲の課題を決めていった。今回はここまでやるぞ、と旗を振るのが仕事だった」と語っている。これはチームを束ねる進行役、プロジェクトマネジャーのような役割そのものである。

また、プロジェクトが遅れ気味だった2012年12月3日に開かれた緊急会議で、孫社長に「お前(=林氏)の情熱が足りないから、プロジェクトが動かないんだ!」、「企画を練り直せ。あさってまでに100個のアイデアを持ってこい!」などと激怒されたエピソードも明かしている。これらは開発リーダーへの発言として自然である。林氏がプロジェクトの中枢でもない社員だとしたら、孫社長はこれほど強烈な怒りをぶつけるだろうか。

林氏の在籍当時からペッパー開発に携わるスタッフはこう証言する。「ペッパーの細かなことまで決めていたという意味でリーダーは孫社長だった。ただ、冨澤さんもリーダーだし、林さんもリーダーだったと思う」。

別のスタッフは「今回のことは寝耳に水で驚いている。組織全体を把握しているわけではないが、林さんは中心的な役割を果たしていたはず…」と振り返る。実際、林氏がプロジェクト後半にアプリ開発などでリーダーシップをとっていたことについては、広報も認めている。

これらを踏まえると、林氏は技術面における開発者や責任者といった立場ではなかったが、主にプロジェクトの推進役を担う、リーダーの1人だったと言えるのではないだろうか。

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