YKK本社機能移転と新幹線で変化「黒部」の今 整備新幹線構想の「夢」を実現した街の実際

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創業者の吉田忠雄氏は黒部市の西隣にある魚津市の出身だ。東京で創業したが、太平洋戦争末期の東京大空襲で工場が全焼、会社はいったん解散を余儀なくされた。その後、魚津市に疎開して事業を再起し、さらに広い土地を求めて黒部市に移転し、1955年に黒部工場が稼働して現在に至る。

黒部市とのつながりは古く深く、北陸新幹線の開業抜きでも本社機能の一部移転は検討課題に上っていただろう。ただ、新幹線開業による利便性向上の恩恵は、やはり大きい様子だ。地元でも「新幹線でYKKを訪れるビジネスマンが増えた」と印象を語る人が多かった。

今回の訪問では、肝心の技術面やビジネス面の現状を調査する時間的余裕がなく、パッシブタウンについても、外観をこの目で見ることしかできなかった。新幹線開業からまだ3年目とあって、地元に及んださまざまな変化も、まだ検証の段階に至っていない様子だったが、地元に対する貢献として挙げられるのは「公共交通の充実」だろう。

公共交通の充実へ取り組み

全国の地方都市と同様、黒部市は車がないと日常生活が困難だ。同社にとっては東京から異動した社員やその家族、地元にとっては新幹線を利用して訪れた観光客や、車の運転が困難な年配者や子どもたちの移動の足を充実させることを、課題の1つと認識していたようだ。

そこで、黒部市が事務局を務め、東京大学の研究者や地元関係団体、交通事業者等で構成する「黒部市公共交通戦略推進協議会」が主体となり、同社も協力して、公共バス路線の新設など、さまざまな社会実験に取り組んでいる。同社資料によれば、黒部事業所で働く約7000人のうち、9割がマイカー通勤者だといい、渋滞対策や生産性向上、働き方改革、さらには二酸化炭素削減に向けて、公共交通の充実を大きな目標に掲げている。

黒部市の現状について語る長田企画政策課長(右)ら=2017年12月(筆者撮影)

一連の動きは、地元でどう受け止められ、どんな反響を引き起こしているのだろう。黒部市役所の企画政策課を訪れ、長田等課長らに話をうかがった。

同市は人口4万2000人弱ながら、YKKグループの本社機能一部移転の効果もあってか、近隣の市町村では唯一、人口の流入が流出を上回る「社会増」が続いているという。死亡が出生を上回る「自然減」の影響で、人口全体は減少傾向にあるものの、ほぼ横ばいを維持している。2015年の国勢調査によれば、夜間人口に対する昼間人口の比率は108.0%と、富山市の105.8%を上回り、富山県内で最も高い。

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