YKK本社機能移転と新幹線で変化「黒部」の今 整備新幹線構想の「夢」を実現した街の実際

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誰でも利用できる「パッシブタウン」の店舗群=2017年12月(筆者撮影)

パッシブタウンのサイトには「黒部の豊かな自然をそのまま活かし、より快適な住まいと、真に持続可能な社会を実現します」「アクティブな生活のためのパッシブデザイン」といった言葉が並び、再生可能エネルギーと高効率設備、建築デザインの組み合わせによる新たなライフスタイルの創出を通じて、地域コミュニティと一体化した「まちづくり」を目指す方向性を強調している。入居は誰でも可能だ。

YKKはこのほか、第三セクター・あいの風とやま鉄道の黒部駅前に「K-TOWN」(ケー・タウン)を整備した。「駅前にも賑わいを」「寮生も建物も地域の一員」をうたい、単身社員向けの100戸と、共用施設としてカフェやコンビニの入った「K-HALL」を建設した。

同社には「YKK精神」として「善の巡環」という理念がある。「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という考え方のもと、地域社会に根差して、地域や社会の構成員として共存して認められるよう、企業活動においてさまざまな取り組みを展開している。多様な地域活動を進めるNPO法人・黒部まちづくり協議会も、1997年に任意団体として発足した際の初代会長は、YKKの吉田会長だった。パッシブタウンやK-TOWNの整備も、このような活動の一環と位置づけられよう。

他の整備新幹線の開業地では、「駅の郊外立地の不当性」や「駅前の商業ビルの不在」が、まちづくりの話題の中心になることが多かっただけに、黒部市での展開は、非常に斬新に感じられた。

震災を契機に進んだ本社機能移転

ファスナーや窓など幅広い「ものづくり」を手がけるYKKグループが、北陸新幹線の開業時に大きな話題を呼んだのは、東京から黒部市への「本社機能の一部移転」だった。

YKKグループは黒部事業所を「技術の総本山」と位置づけており、約7000人の従業員を配置している。2011年3月に発生した東日本大震災では、東京の本社や、建材事業を担うYKKAPの東北製造所(宮城県大崎市)が被災した。これを契機に、黒部市への本社機能一部移転によって、グループの連携強化による技術力や商品力の向上、そして災害時などに備えて本社機能の分散を図ることを決めた。

2011年6月、吉田会長らが会見でこの構想に言及。2014年8月には黒部市の拠点であるYKK50ビルの改修工事を始めた。2015年4月と2016年4月には、YKKの法務・知財部やYKKAPの購買部の社員など、延べ約230人が東京から黒部市へ異動となった。前後して、2015年8月には新本社ビル・YKK80ビルが操業を始め、2016年4月にはYKKとYKKAPの研究開発機能が黒部市に整った。

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