小学校時代は、大声出したり、友達にキックをしたりと、少し変わった生徒だった。
「みんなに見てもらいたかったんでしょうね。友達はいましたけど、まあ嫌われていたと思います(笑)」
図工は得意だった
小学校の頃から図工は得意だった。授業で粘土を触った感覚を今も覚えている。
図工の先生も慕っていた。初老の先生だった。ある日、図工室に呼び出された。通学中によその学校の女の子にいたずらで水をかけたのがバレたのだ。そんなイジワルをしたのも、今思えば注目されたいがゆえの行動だったと思う。
「薄暗い図工室で先生が『お前がやったのか?』ってドスの利いた声で聞いてきたので、言い訳しようとしたら、そのスキもなく問答無用で払腰でバン!って投げ倒されました。柔道の技を食らったのは人生で初めてで、泡を食ってしまいましたね。それからも図工は好きでしたけど、しばらくは警戒していました(笑)」
小学校高学年になってくるとちょっと勉強ができるようになって、中高一貫の進学校に入学。しかし、すぐに授業についていけなくなる。
「中1ですぐに落ちこぼれました。でも中高一貫なんでこれが6年続くんですよね」
当時はバスケ部と生徒会に入っていた。友達や先輩後輩が増えて学校自体は楽しかったが、ただただ勉強ができなかった。
「どうせ良い大学行けないんだったら好きなことしよう」と、高校2年から美術大学を目指すことにした。美術系の予備校に通って受験をし、大阪芸大に合格した。
専攻はグラフィックデザイン。その響きから、絵を描けるコースだと思っていたが、実際にはタイポグラフィ(文字書き)を何時間もかけて描いたり、提出課題も写真に文字を配置してポスターとして完成させたりするようなものが多く、デハラさんが思っていたような好きな絵を存分に描ける授業はなかった。
「学校の課題で自由な絵が描けないなら、授業以外で描こうと思いました。大学2年の時に先輩に誘われて、初めてグループ展(4人展)に参加しました」
そして同級生のお父さんが初日に1万円で作品を買ってくれた。
学生が展覧会をする時、作品を販売しない人も多い。このグループ展でも「売り物じゃないんで」と断った参加者もいた。
「『絵って売れるんだ!』って素直に嬉しかったですね。制作した作品には対価をもらえるんだと知りました。売る作品の数が増えればプロになれるんだとリアルに感じた瞬間でした」
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