現代人を縛る「あの人もう終わったね」の恐怖 固定観念を打ち破れば真の自由が手に入る

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現代社会では、「あの人はもう終わったね」の一言で片づけられる恐怖に、多くの人が縛られている(写真:elwynn / PIXTA)

しかし、著者はそれだけではないだろうと言う。つまり、現代は「どこにも勝者がいない時代」であり、あらゆる人々が商品であるかのように市場の評価を受ける。そしてそれは、「使える」「役に立つ」という極めて一元的な価値尺度に収斂している。

現代社会では、「あの人はもう終わったね」の一言で片づけられる恐怖に、多くの人が縛られている。全てを商品とみなす社会・・・これでは、資本主義のレースから降りられない。企業の株価も同じで、一旦上場して、ひとたび数字やランキングに巻き込まれてしまえば、より上位を目指し続けねばならず、それは次第に強迫観念になっていく。

降りたいのに降りられないというジレンマ

金融の世界に身を置いていた時、私はいつも自分が下りのエスカレーターを登り続けているような錯覚にとらわれていた。じっとしていると下がって行ってしまうから、回し車のネズミのように、常に走り続けていなければならない。少し立ち止まって冷静になって自分の立ち位置や、来し方行く末を考えてみようなどと思ったら、直ぐにエスカレーターは下がって行ってしまう。

このように、この資本主義というゲームから降りたいのに降りられないというジレンマに苦しむ人々が増えて続けているのではないか。これがひとつの大きな日本のジレンマなのである。

そして、著者は、こうした我々を縛り付ける既成概念や固定観念に対して、30年にわたってコツコツと孤高の戦いを挑み続けてきたのである。

当初、本書の書評をHONZに書こうかかなり悩んだ。多くの読者が、著者の言わんとしていることを理解できないのではないかと思ったからである。他方で、『ニッポンのジレンマ』『欲望の資本主義/民主主義/経済史』『ネコメンタリー 猫も、杓子も。』『英語でしゃべらナイト』『爆笑問題のニッポンの教養』など、数々のヒット番組を生み出し続けている名物プロデューサーの本が、一般読者に分からない訳はないという思いもあった。

個人的な話をすると、私が著者に初めて会ったのは、上述の安田洋祐氏の紹介で、『資本主義の教養学 公開講演会』での講演を依頼するためだったのだが、その時の印象を今でも忘れない。

正直に言ってかなりのショックを受けた。自分が抱いていた先入観と余りにも違う人物だったということと、もうひとつには、こういう生き方もあったんだという驚きである。多分、本人は気付いていないだろうが、それ位ショックが大きかった。

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