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ビジネス #100年企業 生き残りのお作法

油性ペンで「マッキー」が圧倒的に強い理由 社長に隠れ「社名変更」「部署新設」する突破力

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  • 森山 玄将 帝国データバンク 東京支社情報部
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国内初のインクの減りがわかるボールペン。「みえる、みえる。インクのみえるボールペン」のテレビCMでも話題に(写真:ゼブラ提供)

「みえる、みえる。インクのみえるボールペン」と歌うテレビCMが当時、大きな話題となった。その後「ハイマッキー」を開発、両頭(太・細)としたことが消費者の支持を集めた。

ハイマッキーは色のバリエーションこそ増やしているものの、現在の形やペン先などはすべて当時のまま。改良することは可能だが、「慣れ親しんだものだから変えないでほしい」という消費者の声に応えてのことだった。

2代目社長の秀明氏は初代とは異なり商売人気質の強い経営者で、特にマーケティングに力を入れた。「消費者に目を向けて」をモットーに知名度向上に注力し、1960年代にはまだ一般的でなかったテレビCMをいち早く取り入れ、その質と量で他社を圧倒。「ZEBRA」ブランドの知名度を飛躍的に向上させた。

一方で、筆記具の製造機械など多額の設備投資を実行し、年商を上回る借金を背負うこととなり財務的には危機的状況に陥った。しかし結果的に、この設備投資の経営判断により筆記具の大量生産が可能となり、ゼブラは1970年代から1980年代にかけて総合筆記具メーカーとしての地位を確かなものとした。

日本経済は、過去に例を見ない高度成長期を経て、バブル景気へ突入する。当時のトレンドであった大量消費を追い風に文具消費も増加、バブル初期はゼブラも順調に業績を伸ばした。5年で売り上げは約100億円増加し、1991年3月期の売上高は240億円を突破。先行きは順風満帆に見えたが、徐々に状況は悪化していく。

「サクラクレパス」などの競合他社は技術革新でゲルインクなど新商品を販売し業績を拡大。ゼブラもキャッチアップを試みたが、結果として後追い商品は不発、さらに技術不足からインク漏れなど不良品を多発し、売り上げは落ち込んだ。さらに、頻繁に行っていたテレビCMの単価が上昇し、ゼブラの躍進を支えたテレビCMをこれまでどおり行うことができなくなった。

しかし、こうした状況を事前に危惧していたのが、当時の役員で現社長の石川真一氏。売り上げが減少基調になる前から技術力不足と商品開発の必要性を実感、社長に黙って商品開発本部を1986年に立ち上げ、次世代への礎を築いていった。

意識改革から「サラサ」ブランド誕生

石川 真一(いしかわ しんいち)/ゼブラ株式会社代表取締役社長

1998年、石川真一氏が代表取締役に就任。社内の技術力強化を急いだ真一氏は、まず採用方針の改革に着手した。これまで文系出身者を8割、理系出身者を2割採用していたが、その比率の逆転を命じた。革新的な商品開発を行うにはエンジニアの数が不足していると判断したのだ。

商品開発本部の設立から10年以上が経過した頃、徐々に技術者育成が軌道に乗り始める。筆記具消費の軸が徐々にオフィス事務用から個人へ移行していることに着目し、使いやすさにこだわって研究を重ね、2000年に大ヒット商品「サラサ」の発売にこぎつけた。

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