33歳、タイで転職繰り返す日本人女性の苦悩 コールセンターは安住の地ではなかった
村上がバンコクのコールセンターで働き始めたのは2011年晩秋に溯(さかのぼ)る。
「実はタイに来た当時はもっと極貧生活で……」
このコールセンターには英語やタイ語、タイ式マッサージを無料で学びながら働くというインターン制度があり、当時29歳の村上はその制度を利用してタイで生活を始めた。
選択したのはタイ式マッサージ。コールセンターの勤務時間は朝から昼過ぎまでの1日6時間で、月、水、木の勤務終了後にマッサージ学校へ通う。指定されたアパートに入居しなければならず、家賃は会社負担(光熱費は別)。「生活手当」と称する事実上の給与は毎月5000バーツ(約1万7400円)にすぎない。このため制度を利用する志願者たちの多くが、日本から数十万円の現金を持ち込み、足りない分をそこから補っていた。
ところが、村上が持ち込んだ現金は10万円足らず。
「貯金もそれだけしかなかったし、まあ足りるだろうなって。でも島に遊びに行ったりして使っちゃって、結局全然足りなかったです。部屋のエアコンをつけないのは当たり前で、朝食抜き。お昼はタイ飯の屋台で30バーツ(約104円)、たばこは37バーツ(約128円)のくそまずいブランドです。夜は瓶ビール1本だけ。1日100バーツ(約348円)を超えないように生活していました」
食事は昼食だけ。徒歩で通勤するのはもちろんのこと、マッサージの学校まで20分かけて歩く。交通機関は使わない。友達に飲みに誘われても行かない。コインランドリーは1回30バーツかかるので、手洗いで済ませる。まさに禁欲生活だ。
「焼き鳥食べて感動しました」
「お金のことばかり気にして嫌でした。インターンの時は自分のお金で日本料理を食べることが一切できなかったです。同僚がおごってくれた時に、初めてタニヤの日本料理店に連れて行ってもらいました。焼き鳥食べて感動しましたもん。うわ、すげえ焼き鳥だ!って(笑)」
マッサージの学校から歩いて帰る途中、絨毯(じゅうたん)屋のインド人男性と親しくなり、ビールを飲ませてもらうこともたびたびあった。
「店の前を通ったらビールか水をもらえるみたいな、アハハハハハ。その間にめっちゃ口説かれるんですよ。インドへ一緒に行こうとか、クラブへ行こうとか。でも適当に受け流していればビールがもらえたんです!」
マッサージ学校のタイ人の先生に食事に連れて行ってもらったり、住んでいるアパートの住人からのお裾分けで凌(しの)いだこともあった。
インターンを始めて1年ほどが経過した頃、希望してコールセンターの正社員になると、月々の給与は5000バーツ(約1万7400円)から3万数千バーツへとハネ上がった。
「それで日本の居酒屋に月2~3回行けるようになりました。洋服も屋台で200バーツ(約696円)ぐらいの安物しか買えなかったのが、600~700バーツ(約2088~約2436円)の洋服を買えるようになった。モスバーガーにも行けるようになり、一般の現地採用の人が毎日食べている物が、週1回ぐらいで食べられるようになりました」
村上はコールセンター以外の職場で働く現地採用の日本人を「一般」と呼んだが、それ自体が自分の職場を卑下しているようにも聞こえた。
生活は少し楽になったが、日々の業務は電話応対である。ずっとしゃべりっぱなしで、時には訳のわからないクレーム対応に追われる。電話に出ると、名前も名乗らずにいきなり怒り出す相手もいた。
「もう何なのよ!と。仕事は嫌だなぁって、ずっと思っていました。社会人として電話応対のスキルはついたかもしれないですけど、それ以外では何の成長もない仕事でした。会社側がオペレーターは使い捨てって思っているのは感じるし、こっちもそういう気持ちで働いていました」
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