部活動ばかりする「名ばかり大学生」の実態 「教育困難大学」は学力無視で入学させている
冒頭に登場した教員にあいさつをした学生たちは、常識をわきまえているほうだ。授業を担当する教員とすれ違ってもあいさつせず、少し離れた場所にいる部活動の先輩には丁寧に大声であいさつをする運動部学生の姿は、キャンパス内でよく見られる。運動部学生は「あいさつがよくできるから」と就職の際に一部の企業で人気があるようだが、部活動を離れた場で、TPOに応じて心のこもったあいさつや対応ができる能力が身に付いているのだろうか。大学内での彼らの言動を見て、疑問に思う教員は少なくない。
昔から大学には運動部があり、東京6大学野球や箱根駅伝のように、大学間のリーグ戦や地域大会は人々の注目と人気を集めてきた。そのため、以前から勉強より運動を優先する学生はいただろう。また、スポーツが得意で体育系の学部に進み、将来何かしらの形でスポーツを仕事にしようとする学生もいつの時代もいた。
2020年の東京オリンピックを控えてスポーツへの関心が高まっている昨今、政府もスポーツ市場の拡大を成長戦略の大きな柱と考えている。その具体策の1つとして、アメリカのNCAA(全米大学体育協会)をモデルに、日本でも大学運動部間の連絡調整や管理、さらに、テレビ中継やグッズ販売、企業との共同研究等を通して収益を上げてスポーツ環境の整備等を行う新しい組織を来年には創設する運びとなっている。
学力や学習意欲もほぼ問わずに入学させている大学も…
この動きは大学の財政基盤の強化にもつながり、経営自体にもプラスになると考えられられる。人気のある大規模大学で、プロ野球球団の経営経験者を学長特任補佐に招くなどのケースが報道されてもいる。しかし、この動きに手離しで賛同してよいのかという疑問がある。すでに、メジャーな競技を中心に、スポーツを行っている高校生を、経営のために学力や学習意欲もほとんど問わず入学させている大学があることは暗黙の了解となっている(もちろん本人の希望もあるが)。
そうしたことが原因で、繰り広げられるのが冒頭の授業光景なのだ。これは、受験偏差値の高低を問わずに見られる「教育困難大学」の象徴的な場面だ。知名度があり入試難易度の高い大学でも、「自分がどの学部で何を専攻したか、運動部所属の学生の多くはわかっていないのではないか」と嘆く教員がいる。それほどまでに学問に対する姿勢は希薄なのである。
それまでの学習態度はともかく、大学入学後は入試のプレッシャーもなくなるので、スポーツも勉学も両方頑張ろうとする姿勢が可能であればすばらしい。しかし、現在の大学スポーツ界、特にメジャーな領域では、勉強時間をほとんど残さないほど熾烈な練習を課しているようだ。学問に関心を示さず、スポーツだけを行っている大学生が多数存在することを認めることは、大学だけの問題ではなく高校や中学の部活動や、勉強のあり方までも悪いほうに変えてしまっていると筆者は考える。次回は、この点について私見を述べてみたい。
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