名門校「武蔵」が守り切る「変わらない勇気」 塾歴社会「最後の楽園」の驚くべき実態
すなわち「武蔵」とは「塾歴社会」および「ポストトゥルース」の対義語である。この文脈が理解されず、武蔵への評価がさらに落ちるのなら、それは武蔵にとっての危機である以上に、社会全体にとっての危機である。
幸い、この数年、武蔵の受験者数は増加傾向にある。塾が発表する合格偏差値も上がっている。だが、たった160人が毎年武蔵を巣立っても多勢に無勢。世の中の流れは止められまい。武蔵は高い理想を掲げたまま討ち死にするのか。そして世界はますます混迷を極めるのか……。
私はそうは思わない。
追い風も吹いている
私の知るかぎり、志を同じくする学校はほかにもある。表面的に武蔵よりは器用に立ち回っているだけで、本質的には武蔵的なものを捨て去ってはおらず、あわよくば失地回復の機会をうかがっている学校は意外にたくさんある。武蔵は決して孤独ではない。
追い風も吹いている。大学入試改革の議論である。単純化・固定化し、攻略され尽くした大学入試のルールを作り直そうとする試みだ。それがどんな形で結実するかということより、そういう問題意識が広まること自体が武蔵的なものにとっての追い風となる。
いま、それぞれの学校が、武蔵的なものをあと2割、いや1割でもいいから多めに表明すれば、きっと世の中のルールは変わる。学校だけではない。社会のメンバーの一人ひとりが武蔵的なものの価値を認めれば、きっと風向きは変わる。
そのあかつきには、武蔵の「変わらない勇気」を最大の賛辞をもってたたえたい。「教育改革」とは、まったく新しいものをゼロから作り上げることではなく、実はこういう足がかりがあってこそ始まるものなのかもしれない。
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