「はとバス」の奇跡 愚直なサービスで業績急回復!

再生のためにサービス日本一を目指す

こうしたサービス活動は一過性のものではない。

きっかけは1998年9月、宮端清次が東京都交通局長から社長に転じてからだ。前期はグループの旅行会社の清算もあり、税引き前損失が約9・6億円と最大の赤字に転落。借入金は約70億円に膨らみ、返すたびに借りる自転車操業を続けていた。そんな中、はとバス再生を託された宮端は、給与カットといったリストラ策とともに、従業員を前にこう説いた。「再生のために、サービス日本一を目指そう」。

宮端は社長からパート社員まで全員が参加する「サービス研修」を始めた。その中で社員提案を開始。バスガイドからは、乗客の視界が良くなるように、バスの座席を高くできないかという提案があった。そこで新しく導入するバスは1台当たり約200万円を追加投資し、客席が一段高いスーパーハイデッカー車にした。運転手はバスの昇降がしやすいように、出入り口に踏み台を置くアイデアを出した。

別のバスガイドは、車内で出す緑茶の品質が落ちていると指摘した。調べてみると経費削減のため、安い茶葉を使っていた。削減額わずか年15万円。宮端は早速、茶葉の品質を元に戻すよう指示し、安い茶葉は社長室で使った。この「お茶一杯からの改革」は、今でも語り草だ。

宮端はお客からの苦情に対し、毎晩、万年筆を手に取り、自ら詫び状を書いた。「ハガキチェック会議」などの取り組みは、このころ始まっている。宮端は時には厳しい態度にも出た。「社員に一人でもサービス不適格者がいると、本当の顧客満足は得られない」。在任中の4年間、6名の運転手が会社を去った。

活動の中心となるお客さまサービス推進部の設立は、00年。「今日も無事故で1日頑張ります」。運転手がこうした“安全宣言”を客の前で行う習慣ができたのも、このころだ。古田は「10年間サービス活動に力を入れて、レベルダウンせずに継続できた。それがここに来て利用者増に結びついてきた」と語る。

その間、新たな取り組みも始めている。ツアーで訪れるレストランや土産物屋などに関する苦情が多いことから、サービス活動を取引先にまで拡大。苦情は必ずフィードバックするとともに、取引先400社弱が集まる「はとバス共栄会」の中から、客の評価が高い取引先を表彰する「はとバス感謝大賞」も、3年前から始めた。

「CSだけではダメ。CDを目指せ」。宮端はそう言う。CSはカスタマー・サティスファクション(満足)、CDはカスタマー・ディライト(喜び)の略だ。商品も、そしてサービスも、客から「参った、そこまでやるのかと思われるぐらいやらないと、生き残っていけない」(同)。

はとバスのサービス活動は、特別なことは何もない。立派なマニュアルがあるわけでもなく、ITツールを活用しているわけでもない。社員表彰の時渡される副賞の中味は、宮端時代と同じ1万円のままだ。

いわば“アナログ”。だがそれが全員参加につながったとき、大きな力に変わる。はとバスのV字回復がそれを物語っている。=敬称略=

(週刊東洋経済 写真:今祥雄)

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