なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか 150年目に「明治維新」の見直しが始まった

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それが、明治以来の歴史教育により、知らず知らずのうちに「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という“刷り込み”が国民になされてきた。いわゆる「司馬史観」でさえもその呪縛にとらわれており、薩長史観の影響は現代に及ぶと指摘する声もある。

ところが、最近続々と出される反「薩長史観」本により、ようやく反対側(旧幕府)からの歴史観に初めてふれることになり、多くの人々が新鮮な驚きとともに共鳴しているのではないだろうか。それまで「明治維新」に対してモヤモヤ感じていた疑問が、すっきり解消したという人も多いようである。

また、イギリスのスコットランド独立投票に見られるような、世界的なローカリゼーションの流れも関係あるかもしれない。

今まで「賊軍」側とされてきた東北や新潟の人々が、官製の歴史観とは違った、自分たちの郷土の側に立った歴史の見方を知り、溜飲を下げたのではないだろうか。そして、自分たちの郷土に、それまで以上に誇りを持つようになってきているように思える。実際、会津や仙台などで、こうした反「薩長史観」本の売れ行きがいいと聞く。

本来、歴史の見方は多様であるはずである。戦争の勝者=権力者の側からの歴史観だけが正しいわけではない。地域ごとの歴史の見方があって然(しか)るべきではないだろうか。

いまはやりの地方創生も、こうした地元の歴史に対するリスペクトといったソフトパワーを抜きにしては語れないと思う。

今後、地域ごとの歴史の見直しの動きは、ますます加速していくのではないだろうか。

「薩長史観」の呪縛から解き放つ

そしてもう1つ、近年の歴史修正主義的な動きも背景にあるのではと思う。

明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の意識と思想を形成していたのは、薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。それが、身の丈を超えた侵略主義、帝国主義へとつながっていく。そして、そのバックボーンとなったのが「薩長史観」なのである。

それはやがて日本を壊滅的な敗北に導いた。その反省から日本は徹底した民主主義と平和主義に徹するようになったのである。

だが近年になって、教育勅語の見直し論に見られるように歴史修正主義が台頭し、またぞろ薩長が唱えていた国家観が息を吹き返しているようである。いずれ稿を改めて書きたいが、歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。

そんな風潮に対して、そもそも薩長が行った明治維新とはいったい何であったのか、という根源的な疑問が提示されるようになってきた面があるのではないか。そこを解明しないかぎり、日本の近現代史を正確に認識することはできない、という考えが「反薩長」本ブームの背景にあるように思えてならないのだ。

今、明治維新の歴史の事実と向き合うことは、薩長史観の呪縛を解き放つことにつながり、自由で活気ある平和な民主国家を追求する一歩となるのである。

そんな思いから今回、『薩長史観の正体』を刊行した。来年、「明治150年」を迎えるのを機に、新たな歴史の見方を知っていただきたいと思う。

武田 鏡村 歴史家

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たけだ きょうそん / Kyoson Takeda

日本歴史宗教研究所所長、作家。1947年新潟県生まれ。1969年新潟大学卒業。長年にわたり、在野の歴史家として、通説にとらわれない実証的な史実研究を続ける。教科書に書かれない「歴史の真実」に鋭く斬り込む著書が多数ある。浄土真宗の僧籍も持つ。主な著書に『決定版 親鸞』『藩主なるほど人物事典』『新時代の幕開けを演出した龍馬と十人の男たち』『図解 坂本龍馬の行動学』『幕末維新の謎がすべてわかる本』などがある。

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