コンピュータの格段進化は突然やってこない 社会が変わるかどうかは結局人間次第だ

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――稼ぐ手段としてテックを使った。

もちろん、メディアアートをやりたいというのはありましたし、真鍋はいろんな実験をその頃からやっていました。僕はどちらかというと企業のウェブサイトを作るなど、食い扶持としてできることはなんでもやりました。

――ターニングポイントは。

米ナイキの「Music Shoe」(2009年)です。この面白さはライブでないと伝わりにくいのですが、それまではライブやイベント的にやるものって、それを実際に楽しめる人が少なかった。それがこの作品では、YouTubeでかなり多くの人に見てもらえました。テックの転換点が、うちのターニングポイントにつながったと思います。

超テック時代には哲学が必要だ

そして今は、ネットとコンピュータのさらに後の時代なんです。ネットはもはや風景や空気と同じぐらい当たり前。コンピュータも一昔前のパソコンよりはるかに性能のいいものが、スマートフォンとしてポケットに入っている。こういう中で今、問われているのは、要素の競争ではなく、こういった道具を組み合わせて何を生み出すのかという総合力です。

そして新しい時代には、ルネサンス期がそうであったように、哲学や思想が必要なのではないでしょうか。哲学は、立ち止まって考える行為です。今の社会の空気は、止まらずに走り続けようという感じですが、しっかりとしたストラクチャーのある哲学や思想が絶対に必要だと思う。

――少しでも多くの情報を詰め込んで、それを処理してっていう競争をしていますよね。

そうですね。哲学って、機能的には社会になくてもいいものかもしれない。でも少なくとも何かを創造する人は、思想に筋が通っていなきゃいけない。僕が学んだ建築がまさしく、「人はなぜ建造物を造るのか」「なぜ天井と壁が住まいに必要なのか」というところから始まる学問でした。

日本の産業界においても、哲学が日常的に論じられた時代がありました。1980年代のニューアカデミズム(ニューアカ)の頃、広告代理店では『構造と力』(浅田彰著)が若い社員に配られたそうです。広告マンは「メディアはどこに向かうのか」という議論をごく日常的にしていたし、どんな雑誌にも哲学めいた記事があったそうです。そういうものが、テックを使って世界を大きく変えうる今、改めて必要だと思います。

『週刊東洋経済』8月21日発売号(8月26日号)の特集は「教養としてのテクノロジー」です。
杉本 りうこ フリージャーナリスト

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すぎもと りうこ / Ryuko Sugimoto

兵庫県神戸市出身。北海道新聞社記者を経て中国に留学。その後、東洋経済新報社、ダイヤモンド社、NewsPicksを経て2023年12月に独立。

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