ある奴隷少女の手記から考えさせられること 1861年発行の書籍が再び注目を集めたワケ
しかしその会で、私の想いは、180度変わったのだ。そこで、多くの女性読者の口をついてでたのは、「ある奴隷少女」を自分におきかえて読んだ、共感した、という感想だったのである。それは、私にとって驚きだった。程度の差こそあれ、現代日本にもジェイコブズが生きているということなのである。
“奴隷少女が自分らしく生きるために感じなければならなかった心情が、現代の日本の少女にとってかけ離れたものであるとは私には思えない。(中略)新しい困難な時代を生きる少女たちには、新しい古典が必要なのではないだろうか──そう思ったことが、本作の出版を決意した理由である。 ~本書「あとがき」より”
訳者は、現代日本を生きる少女たちの心情を看破し、そう述懐している。ジェイコブズは、その身に起こった奴隷制の現実を伝えることを自らの仕事として課し、苦しみながらこの手記を書き上げた。そして、時代と場所を大きく隔てた現代日本で、その思いを訳者が受け取り、多くの日本人にいま届こうとしている。私は、この事実に感動すら覚えた。
非常識なことや不公平なことは、形を変えて現代に
奴隷制がそうであるように、現在の制度のいくつかは150年後には無くなっているだろう。それは、格差を助長するような雇用体系かもしれないし、教育制度かもしれない。見方によっては、現代は非常識なことや不公平なことが横行している社会といえなくもない。
読書会で集まった方々は、それぞれ違う檻の中でもがいていた。次の150年で、その檻のいくつかは解放され、別の新しい檻が生まれるということなのだろうか。世界に目を転じれば、もっともっと多くのジェイコブズが今この時も生きているのかもしれない。この本は、現代に通じる普遍性をもった手記なのだ。
幼くして好色医師フリントの所有物となり、15歳で性的関係を迫られ、そこから逃れるために別の白人男性との間に子供をもうける。その後の執拗なフリントからの嫌がらせに耐えきれず、ついに脱出。その後7年間、立つスペースもトイレすらもない祖母の家の屋根裏部屋に潜伏。やがて、苦労して北部に逃れるのだが、そこに書かれているエピソードの一つひとつが、ある制度下に生まれた「奇怪な現実」の数々なのである。
読み書きができないはずの奴隷が、この「奇怪な現実」を書き遺していたのは奇跡である。読まずにいるのは、ただただ、勿体ない。間違った制度によって正しさが歪められれば、人は、鬼にも蛇にも変形するのだ。私が使用者の立場になったら、どんな悪魔になるのだろう。あなたは現在、檻の中にいるのか。それとも、誰かを檻の中に閉じ込めているのか。自分はそのどちらでもないと、誰が言い切れるだろうか。
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