神宮球場をトコトン盛り上げる名脇役の実像 パトリック・ユウは挫折を乗り切り悟った

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――どこに飛んでいくかもわからない……。

パトリック氏:マイナスのスパイラルに陥っていましたね。実はこの時期、ぼくは震災でせっかく助かった命を、最悪の選択を選ばざるを得ないところまで、追いつめられていました。もうぼくが思い描いているDJ像なんて、甘い考えで社会に必要とされていないという気持ちが、どんどん肥大して「誰も自分を必要としていない」と考えるまでに。それはもう、言いようのない孤独感で、生きていても仕方がない、とすら感じるまでになってしまっていたんです。

「終わり」の場所を探して、なんとなく自分が生まれた東京を目指して西から東へ彷徨っていたところ、途中で偶然立ち寄ったのが、伊豆のジュディ・オング資料館でした。母方のエンターテイナーのDNAの成せる技なんでしょうか。直接歌詞とは関係なく、ある曲のメロディーを聴いただけで何故だか、体の底から、あらゆる感情が込み上げてきて、その場で涙が溢れてしまいました。

散々泣き明かしたおかげか、その日を境に、何か吹っ切れたように不思議と体は軽くなっていきました。原因不明の腹痛も治まり、気力も徐々に戻って、もう一度DJの道を歩くこうと決めるまで回復できたんです。そして次の新天地は東京と決めた時、ぼくは34歳になっていました。

限界を超えてこそ掴める次へのチャンス

すべては行動あるのみだと実感した

――34歳、ゼロからの再出発。パトリックさんの上京物語が始まります。

パトリック氏:「今度こそ、何でもできるんだ」。そう自分に言い聞かせ、いただいたお仕事は、どんな些細なことでも基本断らずに、常にラストチャンスだと思って全力で取り組んでいましたね。チャンスを目の前にして、少しの不安があったり、キャパオーバーだなと思ったりすることは、誰でも当然あると思います。けれど、あえて躊躇せずに、能力なんて顧みずに手を挙げてみる。できることだけ選んでいても、なかなか広がりません。自分の殻を少しずつ割って、拳の届く「半径」を広げていく。すべては行動あるのみだと実感しています。

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