新選組「最強の剣士」は結局、誰だったのか? 「二刀流、剣術、生き様…」総合力はこの剣士だ

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Q10. 総合的見地からみて、新選組「最強の剣士」は誰でしょうか?

新選組は、剣技の修得を目的とした「道場仲間」ではなく、危険な任務を任された「実務部隊」です。

「稽古での実力」ではなく「実戦での強さ」に重点を置くならば、新選組が実際に行った襲撃や暗殺などの履歴から、「より重要な任務に常時抜擢され、最も頼りにされていたメンバー」こそが「最強の剣士」ということになるでしょう。

【総合力で最強】沖田総司(1842?–1868 天然理心流 撃剣師範 武蔵国江戸)

沖田総司(おきた そうじ)は、「三段突き」で知られる必殺剣を武器に、倒幕派志士を恐怖に陥れた天才剣士です。

数ある隊士の中から栄えある「一番隊」組長に抜擢された事実こそ、彼が「新選組最強」であった何よりの証です。

隊で彼と双璧をなした永倉新八からは「猛者の剣」と評され、普段の稽古でも並の隊士では誰ひとり相手にならず、彼が本気で立ち向かえば局長の近藤ですら打ち負かすといわれていました。

「池田屋事件」では室内での争闘中に喀血(かっけつ)し、それを近藤が殺傷血と勘違いしたという話も残っています。

もし、沖田が病に倒れず、その後の戊辰戦争に参戦していたら、彼は函館で敬愛する土方とともに奮戦を続け、新政府軍の北海道制圧をさらに困難なものにしたかもしれません。(慶応4年5月30日、肺結核により療養先の江戸千駄ヶ谷にて死去 享年27)

歴史には「隠れた偉人を知る楽しみ」がある

新選組隊士は、みな基本的に一定以上のレベルを持った優れた武芸者です。

ここまで取り上げた「最強の剣士」たちのほかにも、横暴な振る舞いによって近藤らによって粛清された、初代局長で水戸天狗党の生き残りといわれる「芹澤鴨(せりざわ かも)」は、めっぽう剣が強かったといわれています。

「まともな斬り合いでは倒せないから」と、寝込みを集団で襲われて落命しました。

さらに、沖田と並び称される「人斬り鍬次郎」こと「大石鍬次郎(くわじろう)」や、近藤勇の四天王のひとりで戦闘では必ず一番に突入する「魁(さきがけ)先生」こと「藤堂平助」など強者ぞろいです。

それ以外にも、原田左之助の師匠で「谷の槍は千石もの」とうたわれた「谷三十郎」や、身長182cm体重150kgの巨漢だった「島田魁(かい)」など、まさに新選組は「スゴ腕剣士の宝庫」でした。

日本の歴史には、新選組に限らず、こうした隠れた人物がまだまだ大勢、埋もれています。

教科書に書かれた「小さな出来事」をさらに掘り下げてみることで、いままで知らなかった「魅力的な人物」に遭遇し、人生に影響するようなエピソードに触れることもあるかもしれません。

歴史は「人」であり、歴史を学ぶことは「人を知る」ことでもあります。歴史には「隠れた偉人たち」がたくさん存在します。ぜひ歴史を学ぶことで、人を「知り」「学ぶ」楽しみを体感してみてください。

山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師

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やまぎし りょうじ / Ryoji Yamagishi

昭和女子大学講師、東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師、習志野市文化財審議会会長。1951年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。専門は日本考古学。日本考古学協会全国理事を長年、務める。NHKラジオ「教養日本史・原始編」、NHKテレビ「週刊ブックレビュー」、日本テレビ「世界一受けたい授業」出演や全国での講演等で考古学の啓蒙に努め、近年は地元習志野市に縁の「日本騎兵の父・秋山好古大将」関係の講演も多い。『新版 入門者のための考古学教室』『日本考古学の現在』(共に、同成社)、『日曜日の考古学』(東京堂出版)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)など多数の著書がある。

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