「最強の戦国武将」は結局、誰だったのか? 「武勇、知略、動員力…」総合力は、この武将だ

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Q3.結局のところ、「戦国最強の武将」は誰なのでしょうか?

さまざまな武将を見てきましたが、「戦略・戦術」に優れ、なおかつ「知謀」から「動員力」までを幅広く備えた「総合力の面で最強の武将」は、やはりこの人でしょう。

【総合力で最強】武田信玄(1521―1573 甲斐国躑躅ヶ崎館)

武田信玄の、「戦の天才」と呼ばれる上杉謙信と終始互角に渡り合った実力はよく知られています。百戦錬磨の織田信長さえ、武田信玄を恐れて全面対決を避け続けたほどでした。

16歳の初陣から14戦無敗、北信濃侵攻中に敗戦を3度経験するものの、その後、31歳から53歳で死ぬまでの残り22年間は、ふたたび50戦無敗でした(生涯戦績は72戦49勝3敗20分)。

その強さの秘密は、彼が体得した「孫子の兵法」にあると言われています。情報収集や謀略などを用いて、戦いが始まる以前に相手を弱らせ、「勝つべくして勝つ」戦略を基本としていました。

徳川家康が天下人になれたのも、敵でありながら彼を信奉し、武田氏滅亡後はその遺臣を多く取り込み、その組織形態を模倣したためとも言われています。

「大坂冬の陣」での真田幸村の大活躍は、かつて真田家が武田時代に培った兵法そのものですから、信玄の強さはその存在とともに群を抜いていたと言えます。

歴史には「教訓」と「ドラマ」が詰まっている

戦国武将をこうして一人ひとり注目してみると、皆それぞれが自らの個性、特性を武器に精一杯、時代を生き抜こうと努力していたのがよくわかります。

もちろん、彼らがここまで必死だったのは、文字どおり「戦での敗北が、そのまま死に直結するから」です。当時の日本が過酷な時代だったことをあらためて強く実感します。

戦国時代は、群雄割拠の争いの中、たくさんのヒーローたちが生まれ、また消えていった時代でした。その中で歴史に名を残した武将には、それぞれの「学ぶべき長所や教訓」が少なからずあります。

また、今回とりあげた戦国武将たちは実際には直接対決していないことも多く、「もしも知謀の毛利元就ならば、武田信玄にどう挑んでいただろう?」などと想像をめぐらすことも、歴史の楽しみ方のひとつです。

ぜひ、「教訓」と「ドラマ」が詰まった歴史を学び直すことで、現代を生き抜く知識と教養を、楽しみながら、身につけてください。

山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師

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やまぎし りょうじ / Ryoji Yamagishi

昭和女子大学講師、東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師、習志野市文化財審議会会長。1951年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。専門は日本考古学。日本考古学協会全国理事を長年、務める。NHKラジオ「教養日本史・原始編」、NHKテレビ「週刊ブックレビュー」、日本テレビ「世界一受けたい授業」出演や全国での講演等で考古学の啓蒙に努め、近年は地元習志野市に縁の「日本騎兵の父・秋山好古大将」関係の講演も多い。『新版 入門者のための考古学教室』『日本考古学の現在』(共に、同成社)、『日曜日の考古学』(東京堂出版)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)など多数の著書がある。

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