圧勝しても未知数な仏マクロン政権の将来 多くの有権者にとって「消極的選択」だった

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フランス第5共和制では、マクロンはドゴール以来8代目の、しかも最年少の大統領である。いや1848年、第2共和制で大統領になった40歳のルイ・ボナパルトより1つ若い、フランス史上最も若い25代大統領の誕生となった。ルーブル宮からカルーゼル門のあるチュイルリー公園に向かうと、左側には馬上の太陽王ルイ14世の像が見える。そして右には革命直前の大政治家テュルゴー財相の館があった。文学青年でもあるマクロンは、フランスへの人文的愛国主義の強い保持者だ。ナポレオンについてもよく言及した。いままさに権力の頂点にあって、マクロンはフランスの歴史の偉大さと自分を重ねているのだろうか。彼はさらに、

「ヨーロッパと世界は私たちが啓蒙精神を守ることを待ち望んでいます……任務は途方もなく大きい。……私は皆さんのために奉仕します」

と、マクロン一流の美文調の言葉を並べた。

選挙期間中のマクロンの演説は、共和国の理念と民主主義擁護のための連帯をうたった美辞麗句にちりばめられていた。そんなマクロンの言葉が、若い人を中心に、人々に届いたのは確かだった。しかしそれは実現するのだろうか。

有権者の意識にあった既成大政党への拒絶

本欄ですでに述べてきたように、今回の選挙は終始ルペンが主役だった。フランス大統領選挙は2回投票制で、過半数を取った候補者がいない場合には上位2者で決選投票が行われる(過去に1回で決まった例はない)。世論調査では、ルペンが確実に第2回投票に残る、というのが今回の選挙戦の大前提だった。これ自体がすでに、フランス政治の大変革を意味した。

そうした中で、他党はいかにして第2回投票に候補者を残すのか、という狭い範囲での選択に腐心した。極右勢力の躍進によって保守派が動揺し、フィヨン候補が架空雇用金銭スキャンダルで沈む一方で、オランド大統領の人気低迷を加速化させるかのように、社会党は内部分裂した。

こうした間隙を縫って、独立系中道左派のマクロンが社会党右派と共和党左派を糾合し、さらに中道派「MoDem(民主運動)」のバイル代表の後押しもあって急浮上、短期間に勢いを得て押し切った形となった。

その背景にあった有権者の政治意識はどうだったか。それは、第5共和制発足以来の既成大政党の統治に対する拒絶だった。社会・治安・経済問題で袋小路に陥っている政治への不信と反発が、そこにあった。今回の大統領選挙では極右・極左が勢力を伸ばしたが、それはこうした苦境の中で一般民衆に人気取り政策を掲げるという、ポピュリズム現象の高揚があったからだ。

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