仏大統領選、マクロン当選でも極右は死なず 若きリーダーの政策遂行力に国民は不信感
大臣任期中の2016年4月には、”右でも左でもない”政策集団「前進!」を立ち上げて、同年8月に大臣を辞任。同年11月には大統領選への立候補を表明し、共和党の大統領候補だったフランソワ・フィヨン元首相の支持率が家族の架空雇用疑惑のスキャンダル浮上で急低下した敵失を追い風に、一躍有力候補へ躍り出た。
マクロン氏は私生活の面でも話題を集める。2007年に結婚したブリジット夫人は24歳年上で高校時代の恩師。今回の選挙戦では夫人を連れ添うマクロン氏の姿が目立った。二人そろって写真に撮影されることも頻繁で、写真誌の表紙を飾ったこともある。実はこうした形でメディアに登場するのも、雑誌ジャーナリストとして有名なミシェル・マルシャン氏、通称「ミミ・マルシャン」氏のアドバイスによるものとの見方が多い。
現時点で最終確定はまだだが、決選投票はほぼ事前の予想通りの結果といえそうだ。フランスの調査会社ifopによる5月5日時点の調査も、マクロン氏支持が63%だったのに対し、ルペン氏支持は37%にとどまっていた。
反面、ルペン氏は「反EU(欧州連合)、移民排斥」を掲げ、一時は1回目投票で最も多くの支持率を集めるとの予測もあったが、同投票前から失速。結局、2002年の父ジャン=マリー・ルペン氏のときと同様、決選投票で敗北を喫してしまった。
人気の伸び悩みの一因が、1回目投票前の失言だ。4月9日のテレビ番組出演時、ナチス・ドイツ政権下でフランスの警察官や憲兵の約4500人が1万3000人のユダヤ人を拘束した、1942年7月の「ヴェルディヴ事件」に触れた。「責任があったとすれば、それは当時の政権であり、フランスには責任がない」などと発言したのだ。
失言が極右アレルギー招いたルペン氏
「フランスは(1995年に就任した)ジャック・シラク元大統領の時代になってからようやく過ちを認めて謝罪した」。ユダヤ人街として知られるパリの中心部、マレ地区を約2年前に筆者が取材したとき、宝飾店の経営者がこう話していたのを、今でも鮮明に覚えている。テレビ番組での発言がユダヤ人社会の反発を招いただけでなく、有権者の”極右アレルギー”を呼び覚ますきっかけになったのかもしれない。
決選投票が近づくにつれ、ルペン氏が当初掲げていた公約に揺らぎが出てきたことも、敗北の一因といえるだろう。5月3日に行われたマクロン氏とルペン氏のテレビ討論では、ルペン氏の挑発にもマクロン氏が冷静に対処。両者の支持率の開きにつながった。
討論をめぐる報道の中には、ルペン氏の誤りを指摘する新聞記事も少なくなかった。一例がEU予算におけるフランスの拠出金と補助金の差額である。討論でルペン氏が「EUへの拠出金が補助金を90億ユーロ上回っている」と話したのに対し、マクロン氏は「60億ユーロ」と説明。これにル・モンド紙は「2015年は約61億ユーロであり、ルペン氏は間違っていた」と指摘した。
討論ではほかにも、EUの加盟国に義務付けられた一時雇用の外国人労働者を実際の数より多めに見積もったり、ユーロが導入される以前から消費者物価が上昇していたにもかかわらず「ユーロの導入が物価高をもたらした」と説明したりするなど、経済領域に関するルペン氏の理解の低さを露呈する格好となった。
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