トランプを支持する「負け犬白人」たちの正体 黒人・ラテン系移民より将来に絶望している
機会の平等について語るときには、ここまでに書いてきたような事実を忘れてはならない。ノーベル賞を受賞した経済学者たちは、中西部工業地帯の衰退や、白人労働者階層の働き手の減少を心配する。製造業の拠点が海外に移り、大学を卒業していない若者が中流層の仕事に就くことは難しい、というのが経済学者たちの主張だ。確かにそのとおり。私も同じ心配をしている。
社会の衰退を助長する文化
だが、私が皆に知ってほしいのは、それとは別の話である。産業経済が落ち込むなか、現実の生活で人々に何が起こっているのか。最悪の状況に、人々はどのように反応しているのか。社会の衰退を食い止めるのではなく、それをますます助長する文化とはどのようなものなのか。そうしたことである。
タイル会社の倉庫で私が目にした問題は、マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりも、はるかに根が深い。あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。よい仕事であっても、長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。
さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。そうした姿勢は、現在のアメリカの経済的展望とは別個の問題だといえる。
『ヒルビリー・エレジー』で焦点をあてたのは、私がよく知っている人たち、すなわちアパラチアに縁のある白人労働者階層である。しかし私は、そうした人たちのほうが同情に値すると主張したいわけではない。黒人よりも白人のほうが強い不満を抱いている理由を論じるつもりもない。読者の皆さんには、人種というレンズを通した歪んだ見方をするのではなく、「貧しい人たちにとって、社会階層や家族がどのような影響を与えるのか」を理解してほしい。
多くのニュース解説者や評論家にとっては、「ウェルフェアクイーン(福祉の女王)」という用語は、「公的扶助を受けながらも、怠惰な生活をする黒人女性(母親)」という偏ったイメージを呼び起こす。だが、読者の皆さんはそうした幻影と私の議論とはなんの関係もないことにすぐに気づくだろう。私は実際に、多くのウェルフェアクイーンを知っている。隣人にも何人かいるが、全員が白人なのだ。
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