あの「マロニーちゃん」、奇跡的発展の舞台裏 2代目社長は世界戦略を練り上げている

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マロニーは、お鍋だけにとどまりません。肉じゃがマロニー、ゴーヤと一緒のマロニーチャンプルー、パスタ代わりのマロニーちゃんペペロンチーノなど、レシピも多彩です。その数、なんと150種類以上。

加えて160人の社員が年2回参加するレシピ・コンテストで、さらなる新メニューにも挑戦しています。マロニーのほか、冷凍でない徳島産すだちを使ったポン酢も40年以上前から製造。業務用から市販用まで幅広く手掛ける会社に成長しました。でも幸枝社長は、もともと入社するつもりはなかった、と言います。

さっぱり寄せ鍋、ぜいたく鍋、野菜鍋(写真:マロニー提供)
肉じゃが、サラダ、チャプチェ(写真:マロニー 提供)

「25歳で結婚して家庭に入り、一度も働いたことがありませんでした。それが、40歳で入社することになったんです」

箱入り娘ならぬ箱入り主婦だった幸枝社長。いったいどんな思いで、入社に至ったのでしょうか。

血中糖度が上がりにくい健康食品

河内幸枝社長(写真:マロニー提供)

「後継者がいなかったことから、3姉妹の長女の私がやることになりました。やはり、モヤシ製造業から始まってマロニーまで両親の苦労を見てきただけに、それを無にしたくなかったんですね。とにかく何とかしたかった、その一念です。でも、私を置くところがなかったので、最初は名ばかり総務部長でした」

そう謙遜される幸枝社長ですが、スタートから目の付け所が違いました。

「仕事がなかったので、会社の資料から統計を取って『10年ノート』を作りました。そこから見えてきたのは、過去から現在、そして類推できる未来でした。このままではいけない、と思いました。私はコワガリなので……」と幸枝社長。主婦でいうところの、いわゆる家計簿。この主婦目線がいいのです。現在ではノートも4冊目。過去から現在までの生きた数字が、会社の進むべき方向を定めます。

「マロニーは、グルテンフリーでアレルゲンもないですし、血中糖度が上がりにくい健康食品なんです」

そう言われる幸枝社長に、これからのビジョンをお聞きしました。「アメリカへの輸出は40年前からです。今では世界40カ国の地域でマロニーを楽しんでもらっています。これからは、中国、ヨーロッパにも輸出して現地の方に“世界のマロニーちゃん”と呼ばれるようになりたいと思っています」。

商品はこんなに多彩(写真:マロニー提供)

ヒット商品は、商品の良しあしだけでは決まりません。良い商品であっても、知名度が低い、販路が間違っているとなかなか売れません。マロニーは商品開発と同時に、将来ブランドになるネーミングを考え、さらに、販路を一般小売から大型スーパーにまで広げました。経営者としては「コワガリ」なのも、功を奏しました。最初はボチボチでも地道な努力が、ロングセラー商品を生んだのです。今後、幸枝社長の世界戦略が「10年ノート」に記され、着実に実現されることを願っています。

竹原 信夫 日本一明るい経済新聞 編集長

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たけはら のぶお / Nobuo Takehara

有限会社産業情報化新聞社代表取締役(日本一明るい経済新聞編集長)。1971年3月、関西大学社会学部マスコミ学科卒、同年4月にフジサンケイグループの日本工業新聞社に入社。その後、大阪で中小企業担当、浜松支局記者などを経て、大阪で繊維、鉄鋼、化学、財界、金融などを担当。1990年4月大阪経済部次長(デスク)、1997年2月から2000年10月末まで大阪経済部長。2001年1月に独立、産業情報化新聞社代表に。年間約500人の中小企業経営者に取材、月刊紙・日本一明るい経済新聞を発行している。
 

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