新旧マクロ経済学の見方:「減税」でどうなる?
所得の一定割合が(政策の中身とは関係なく)消費に回されると考えるケインズ経済学では、
「減税によって増えた所得の一部を家計が消費する」
→「その消費が別の家計の所得となる」
→「新たに増えた所得の一部がまた消費に回る」(以下、繰り返し)
という効果を通じて、減税が消費や所得を押し上げるとする。
一見して、もっともらしい気がする。しかし、3点シュートの罠と同じく、問題の当事者である家計の行動パターンが、減税の前後で全く変化しない、ということを暗黙の前提にしている点に注意が必要だ。
では、ルーカスの批判を踏まえると、どうだろうか。驚くべきことに、減税は消費や所得に一切影響を与えない、という極端な結論が導かれうる。なぜなら、
「政府はいくらでも自由に借金できるわけではない」
→「よって減税(とそれに伴う国債の発行)は将来の増税を必然的に招く」
→「家計がこのことを織り込むと将来の増税に備えて消費を増やさない」
からだ。
このアイデアは、比較優位説でも有名な経済学の巨人デヴィッド・リカードによって19世紀にはすでに言及されており、「リカードの中立命題」とも呼ばれる。中立命題が成立する状況では、政府支出の財源を税金で賄っても、国債発行に頼っても、実体経済に与える影響には全く差が出ないのである。
整理すると、ケインズ経済学では、家計はあたかも機械のように増えた所得の一部を消費する。これに対してリカードの中立命題では、すべての家計がきちんと将来の増税に備えて増えた所得を貯蓄に回す。仮定だけを見ていると、両者ともやや非現実的に映るかもしれないが、どちらのストーリーの方が的を射ているのだろうか。
現実のデータから減税の影響を推計すると、少なくとも短期的には、消費を刺激するプラスの効果が表れることが知られている。このことから、リカードの中立命題が文字通りには成立していないことがわかる。ただしその効果の大きさは、ケインズ経済学が示唆する値よりも、総じて非常に小さい。
ルーカスの批判のとおり、やはり実際にも、多くの家計が政策の変更に伴って行動パターンを変えているのだ。
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