伊豆急「1両だけで走る旧型電車」復活の狙い 観光客の人気呼ぶ開業時からの「クモハ103」

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しかし、この100系グループも、1990年代になると老朽化が顕著になり、後継車種への置き換えが進められるようになった。そして、2002年4月には、全車が営業運転を終了したのである。

それでもただ1両、伊豆急線の線路の上に残された100系電車があった。クモハ103がそれで、この車両は車体の両側に運転台が設けられていたことから運転には重宝で、機関車に代わる入れ換え運転用の車両として、車両基地に残されていたのである。

伊豆急行の比企恒裕さん(筆者撮影)

現在、伊豆急行の企画部長を務める比企恒裕さんは、引退後のクモハ103についてこう語る。

「営業運転を退いた後のクモハ103は、主に伊豆高原駅に隣接する車庫内での入れ換えに使用されていました。この車庫の検査線は有効長が4両分しかありません。けれども当社の2100系『リゾート21』は7~8両編成ですから、検査時にはこれを分割して、検査線に押し込む必要があります。そのような時にクモハ103が便利な存在となっていたのです」

このクモハ103が営業運転に復活したのは2011年11月のことであった。それはもちろん、文化的にも存在価値のある旧形電車を活用し、新たな輸送需要を喚起しようという活性化策の一環であったが、ファンの高い人気を誇っていた車両であったにせよ、現役を退いてからずいぶんと時間が経っていた電車の突然の現役復帰は、ファンを大いに驚かせたのである。

震災で打撃受けた観光の目玉に

しかし、クモハ103の復活までの道のりは、決して平坦なものではなかったという。

「2011年という年が当社にとって開業50周年に当たっていたことから、12月10日の開業の日に向けて何か記念事業を行いたいという機運が高まっていました」。ところが、この年の3月に東日本大震災が発生。伊豆半島にも観光面で多大な影響を及ぼすこととなった。

「この時には計画停電が行われるなどして、伊豆半島全体の観光事業も大きな打撃を受けました。そこで集客が期待できる事業として、クモハ103を営業線上で運転しようというアイディアが浮上したのです。このような事業は実現に困難が伴うものなのですが、この時は当時の社長が『せっかくの会社の財産を活かそう』と、強いリーダーシップが発揮されて、復原工事が開始されたのです」。比企さんは、クモハ103号復活の第一歩が印された当時のことをこう振り返る。

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