そして、江戸時代の日本は、離婚大国であると同時に、再婚大国でもありました。享保15年(1730年)の史料に「世上に再縁は多く御座候」と記述がありますし、土佐藩には「7回以上離婚することは許さない」という規則がわざわざ設けられていたくらいです。ということは、6回までの離婚再婚は認められていたわけですね。離婚・再婚がいかに多かったかが、推測されます。
また、これも誤解が多いのですが、江戸時代、農民や町民の場合は、ほとんどが「共稼ぎ」でした。結婚相手としては「よく働く女」というのが重要視されていたくらいです。働かないで済んだのは、公家や武家、裕福な商家の女性くらいなものです。厳密には、「共稼ぎ」というよりも「銘々稼ぎ」という言い方でした。一家の家計を夫婦が共同して支えるという感覚ではなく、個々人がそれぞれに稼ぐという考え方なんです。男だ女だという性別に縛られることなく、それぞれが個々に自立した男女の関係性の上に成り立っていた社会だったのです。浮ついた恋愛感情ではない分、夫婦は互いに人間としての絆で結ばれていた、いわゆる「人生のパートナー」であったわけです。
奇しくも、この時代の江戸は今と同じように「男余り」状態でした(「茨城県が1位!『ニッポン男余り現象』の正体」)。女性の倍の人数の男性がおり、生涯独身で通す男も多くいました。男色も認められていました。それぞれが多様な価値観の中で、それぞれの生き方を謳歌していたわけです。
未婚率・離婚率の上昇は、「揺り戻し」にすぎない
明治期に入って、急激に離婚件数が激減した理由は、1898年(明治31年)に施行された明治民法です。明治民法の最大の特徴は、「家」制度を明確に規定したことにあります。妻は、ある意味「家」を存続させるためのひとつの機能として縛り付けられることとなりました。この「家」制度が、日本人の家族意識や性規範などにもたらした影響は大きかったと思います。それまでの江戸時代から続く庶民のおおらかな性や柔軟な結婚観は否定され、貞操観や良妻賢母を理想とする女性像を是とするものに塗りかえられていきました。ちなみに、”Love=Romance”という概念も明治以降に作られたものです。
大正、昭和にかけて、確かに離婚率は減り、皆婚状態になりましたが、それは果たして日本人にとって望ましいものだったのでしょうか。今の未婚率・離婚率の上昇は揺り戻しに過ぎないのであって、本来の日本人のあるべき姿に戻っている、と言ったら言い過ぎでしょうか。もちろん、決して江戸時代に回帰せよ、と薦めているわけではありませんが、きたるべき「超ソロ社会」(拙著参照)に向けて、もう一度「日本人とは何か?」を考えてみるのも重要ではないかと思います。
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