厚木5歳児衰弱死事件が示す「法医学の限界」 作られた「残酷な父」というストーリー
続いて、検察側の証人として、小児の放射線科医B医師が証言。解剖時のレントゲン写真を見たB医師は、死後室内に置いておいた骨は、「何年経とうが、基本的に生前の状態が保存される」と語り、「骨濃度、骨密度が低く、緻密骨の骨量は通常の5歳児の半分程度」と証言した。A医師が語るイメージは補強された。
一方、R君の遺体の解剖を担当した東海大学医学部法医学の大澤資樹教授は、弁護人側の証人として出廷。「死因は不詳」とした。「拘縮」については、控えめながら「筋肉もない、骨の中からそういうことを言うのは言い過ぎだ」とした。だが、「残酷な父」のイメージが覆ることはなかった。
Sの記憶はあいまいで、殺意の根拠になる、亡くなる前にどの程度R君に食事をさせていたかについても、証言は二転三転した。ほとんど毎日家に帰っていたという言葉が出たと思うと、1週間に1回程度かもしれないという。自分に有利な証言もひっくり返してしまう。さらに、R君の死亡について「事故のようなもの」と発言し、無責任さを印象づけた。
こうした流れの中で、一審の判決は「通常人であれば誰でも」死の危険性を理解できたはずだったにもかかわらず、医者に見せるなどの措置をしなかったとして、Sの殺意を認定した。
検察はR君が亡くなる前年の2008年秋から、食事の回数は2、3日に1回になり、亡くなる直前には週に1回になったとした。根拠は、1カ月前に「拘縮」が起きたという“事実”に適合するからということが大きな理由だった。「拘縮」は殺意の存在を説明する要となった。
拘縮があったというのは事実なのか
ところが判決後、私は複数の医師や児童虐待の専門家から、飢餓の際「拘縮」が起きるという意見には異論があることを教えられた。拘縮があったというのは本当に事実なのか。そこで、法医学学会の理事である岩瀬博太郎千葉大医学部教授に会いに行った。
岩瀬教授はこの判決について2つのおかしさがあると指摘した。「(1)飢餓と拘縮は無関係である。(2)仮に拘縮があったとしても、ミイラ化した死体で関節拘縮はわからない」という。
岩瀬教授は「一般的には」と断って、次のように語った。
「ときどき警察や検察は、自分たちのストーリーに合う発言をする医師を選んでしまう傾向がある。そうなってしまうのは、日本の法医学全体が脆弱だからでもある。アメリカやヨーロッパなどでは複数の法医学専門の医師がいる施設で、同僚同士で批判を受けた鑑定結果が裁判に提出される国もある。日本では1人の医師のみで鑑定を行う場合が多い。法医鑑定という、本来は化学的、客観的であるべきものが、時には偏りかねない1人の医師の判断に依拠させるのはどうかと思う。冤罪(えんざい)も起こりかねない」
二審のために、岩瀬医師は意見書を書いた。
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