いざ統合へ! ビクター・ケンウッド両トップに直撃−−佐藤国彦・日本ビクター社長
6月27日、日本の電機業界の歴史を彩ってきた老舗AVメーカーの日本ビクターとケンウッドの経営統合が、両社の株主総会で承認された。10月1日に共同持ち株会社を設立し、新たなスタートを切る。
「やっと一区切りついた」--。総会後、両社の関係者が胸をなで下ろしたのも無理はない。今回の統合は、幾多の紆余曲折を経て、ようやくたどり着いた結果だからだ。
統合のきっかけは、ビクターの経営不振にある。1976年に発売のVHSで一時代を築いた同社だが、それに次ぐ収益柱が育たず、90年代以降は業績の低迷が続いていた。
この状況に頭を抱えたのが、50年以上の長きにわたり、株式の過半を保有し続けた松下電器産業だ。電機業界は2000年代に入り、環境が一変。デジタル化による参入障壁の低下で、世界規模での熾烈な競争の時代に突入した。その中で、勝ち残りを狙う松下にとって、低迷が続き、事業面でシナジーもないビクターは足かせとなっていたのだ。
松下は社長を送り込み、再建を試みたが苦戦。その後に画策したのが、ビクター株の売却である。MKSパートナーズやTPGなど国内外の投資ファンドと水面下で交渉を進めたのだ。だが、いずれの相手とも価格面で折り合いがつかなかった。
一方、売却交渉の間にもビクターの弱体化は進んだ。自力で抜本的な再建策を打ち出せなかったためだ。特にテレビ事業は大赤字を垂れ流していたにもかかわらず、ブラウン管テレビを開発した高柳健次郎氏(元副社長)を拠り所とするテレビへのこだわりやさまざまなしがらみにとらわれ、大ナタを振るえずにいた。
テレビ事業は国内撤退 生産・開発で進む融合
松下、ビクターとも八方ふさがりの状況に陥る中、救世主として手を差し伸べた人物、それがケンウッドの河原春郎氏だった。
河原氏は東芝、米投資ファンドを経て、02年に債務超過だったケンウッド社長に就任した。そして就任早々、投資ファンド仕込みの債務株式化実施に加え、成長分野だった携帯電話事業から「ケンウッドの規模では投資回収は無理」と撤退を決断。無線やカーエレなどに経営資源を集中し、わずか1年で過去最高の利益をたたき出した実績を持つ。松下はその豪腕にビクター再建を託した。
昨年8月、ビクターとケンウッドは経営統合を前提に資本・業務提携を結んだ。それから1年間で、ビクターは約1400人の人員削減、不採算事業の売却・撤退など過去にない大改革に踏み切った。ビクターの魂といえるテレビ事業も例外ではなかった。国内販売の大幅縮小、つまり事実上の撤退を決断したのだ。
身を削っただけではない。経営統合を見据えた両社の融合も始まっている。ケンウッドは昨年11月から、ビクターのインドネシア工場にカーオーディオの生産の委託を開始。生産面でのコスト削減と利益の外部流出を避ける狙いだ。開発面でもJ&Kテクノロジーズという合弁会社を設立。ビクターの持つAVの技術とケンウッドの持つナビの技術を活用したカーAVの開発を進めている。
そうした一連の改革の成果が、ビクターの08年3月期の決算だった。営業利益は32億円と3期ぶりに黒字化を達成、統合の前提をクリアした。そしてビクターとケンウッドは新たな一歩を踏み出す決断を下した。
これで一件落着か。いや、そうではない。統合後に待つのは険しい道だ。両社の合計売上高は約8200億円。競争相手になるソニーや松下などの10分の1にも満たず、経営資源をはじめとした競争力で見劣りする。テレビも国内を縮小したとはいえ、大赤字が残っている。
不安要素は内部にもある。ビクターは社員のプライドが非常に高い。松下ですら手に負えず、それが、構造改革になかなか踏み切れなかった一因でもある。売り上げ規模がビクターの4分の1しかないケンウッドが、経営を掌握できるのか疑問だ。実際、ビクター社内には「ケンウッドは格下」(ビクター中堅社員)というムードが残っている。