イスラエル建国60周年 ユダヤ人国家の理想と現実
イスラエル建国60周年を前にした2月、イスラエルのエフード・オルメルト首相が日本を訪問し福田康夫首相と会談した。今回の訪日では、イスラエルからビジネスミッションが同行して日本・イスラエル合同ビジネスフォーラムが開催され、日本との経済交流を深めたいというイスラエルの意気込みを示した。
最近5年間のイスラエルの経済成長率は平均5・6%、GDPは1378億ドル、1人当たりGDPは1万9900ドル(2006年)になっている。
通貨シェケルの価値も安定し、06年のインフレ率はマイナス0・1%。84年のインフレ率が445%を記録したことを思えば隔世の感がある。オルメルト首相は、人口比で世界一高いエンジニアの比率やGDP比5%の研究開発比率など、ハイテク国家イスラエルを強調している。
現在は好調なイスラエル経済だが、粗くいえば48年の建国から90年ころまでイスラエルは戦争は強かったが経済はダメだった。理由はたくさんあるが、簡単に言えば「社会主義経済」だったからである。
ヘルツェルのユダヤ人国家の理想像は「たくましく、農場や工場で働く新しいユダヤ人」である。「ヴェニスの商人」に代表される、青白く詭弁を弄して、金貸しや商業で金儲けをするディアスポラのユダヤ人像を否定することから、シオニズムは始まった。
私有財産を持たずに農場で共同生活をするキブツがその象徴的存在だ。また、イスラエル建国に大きな役割を果たしたヒスタドルート(労働組合総同盟)はイスラエル労働党の主要な支持基盤であり、イスラエル唯一の公的交通機関であるバス会社から銀行・保険会社まで運営し、経済を牛耳ってきた。
想像してみよう。日本社会党がずっと政権の中枢に座り、総評が国鉄や銀行・保険会社まで経営したら日本経済がどうなっていたか、を。
だが、80年代半ばころからレーガン、サッチャー流の新自由主義的経済改革がイスラエルにも浸透し、政権の重心もイスラエル労働党から、より市場主義的な経済政策を掲げる右派政党リクードに移っている。
現在イスラエルの貿易相手国は首位のEUが35%、米国が28%、アジアが20%を占めている。かつては柑橘類やダイヤモンド加工品くらいしか輸出品がなかったイスラエルだが、ハイテク産業が成長し、産業構造の転換にも成功した。
たとえば世界最大の半導体メーカーインテルはイスラエルに四つのMPUなどのデザインセンターと二つの製造工場を持っている。インテルの創業者の一人で、初代CEOのアンディ・グローブがハンガリー出身のユダヤ人ということもあり、開発・製造拠点を置いているのだ。インテル・イスラエルからの輸出は13億ドルになっているという。米国のナスダック市場に上場しているイスラエル企業は100社を超えている。
オルメルト首相が強調したのは、ルノー・日産が推進する電気自動車の量産計画である。イスラエルの投資家がプロデュースし、ルノーが車体を造り、日本の日産とNECがバッテリーパックの開発と量産で主要な役割を果たす。この電気自動車は2011年に利用可能になり、イスラエルに続いて、12年から日本でも販売される方向だという。ヘルツェルの理想に反して(?)投資という「本業回帰」を進める感じのあるユダヤ人国家だが、日本とイスラエルの間では意外な“実物的”経済関係が深まるかもしれない。
(内田通夫 撮影:梅谷秀司 =週刊東洋経済)
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